いつまで働けばいい? 74歳まで働ける人生の描き方

いつまで働けばいい? 74歳まで働ける人生の描き方

2017/08/22

いつか訪れる「定年」を意識して、自分のキャリアをつくる

 毎週日曜日の夜10時に楽しみに見ているドラマがあります。そうです。NHKのプレミアムドラマ「定年女子」です。

 主人公の深山麻子は53歳。大手商社のCSR部長としてバリバリ働いていましたが、役職定年によりヒラ社員に降格。30年以上勤めた会社を退職して第二の人生を歩み始めるというドラマです。私は麻子とほぼ同世代。「定年まであと○年」とカウントダウンとなってきましたので、他人事ではありません。麻子がこれから一体どうなるのか興味津々です。

 さて、このスタイルでの連載は今回が最後です。最終回の今回は、あなたの年齢はどうあれ、会社勤めであれば「定年」を見据えて、「ポスト定年」を意識しながら働きましょうというお話をしたいと思います。

あなたは何歳まで働くことを意識していますか? (C) PIXTA


第1回「号泣の不本意な異動だったのに全く後悔していない理由
第2回「『私はダメ』自虐の無限ループ あなたのせいじゃない
第3回「「キャリアプラン不要「人生を変える偶然」との出会い方
第4回「「ピンチに負けない強い人」が実践する失敗時の行動
第5回「考え方の癖を知れば、人間関係の悩みはもっと軽くなる
第6回「いつまで働けばいい? 74歳まで働ける人生の描き方」(今回はここ)
人生100年時代。74歳まで働くことを前提に考えてみる

 昨年話題になった本の一つに、リンダ・グラットンの「ライフ・シフト――100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社)があります。とても興味深い内容で生きる上での示唆がたくさんありました。

 タイトルが示すように、この本の中で、著者は、長寿化が社会に一大革命をもたらし、あらゆることに影響を及ぼすとしています。結果として、個人が最も大きく変わることが求められており、新しい行動に踏み出して、長寿化時代への適応を始める必要があると書かれています。「50歳未満の日本人は、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい」。日本語版序文には、このようなメッセージがありました。

 あなたの会社の定年は何年ですか。定年が60歳だけど、希望すれば65歳までは今の会社で働けるからその後は悠々自適……というようなイメージを持っていたとしたら、「ライフ・シフト」は、それを打ち砕きます。

 「教育 → 仕事 → 引退」という3ステージの生き方自体が古くなり、2番目の「仕事」のステージが長くなること、長く生きること、働くことを前提に人生全体を設計し直さなければいけないことを、リンダ・グラットンは説きます。

 2025年、団塊の世代が後期高齢者となり、日本の高齢化率は30%を超えるといわれています。世界で類を見ない超高齢国家になるわけです。年金制度など社会保障制度もこれから変わる可能性が高いでしょうから、リンダ・グラットンが指摘するように、「人生100年」を意識して人生設計をする必要があります。

 長く働くことを前提とする場合、具体的に何歳まで働くと想定すればよいのでしょうか。私は、「74歳まで働くことを想定しましょう」とお伝えしたいです。

 74歳とは、女性の「健康寿命」なのです。健康寿命とは、「健康上の問題で日常生活に制限なく生活できる期間」です。つまり一人で普通の暮らしができる期間ということです。女性は、74歳まで健康上何も問題が生じず、日常生活が送れる人が多いので、そのときまで働くということを意識して、今のキャリアを考えませんか、という提案です。74歳まで自分が働くことを前提に、74歳の自分から、今の自分を眺めると、自分のキャリアを考える視点も変わってきませんか。

会社名がなくても働ける自分、価値を提供できる自分でいたい

 「74歳まで働かなくちゃいけないの? リタイアしたら悠々自適がいいのに……」

 そんな声も聞こえてきそうですね。実は私もそんな考えを持たないわけではなかったのですが、あるシニア女性・佳子さん(仮名)と出会って考え方が大きく変わりました。

 佳子さんは、夫と二人で創業した会社を専務として切り盛りしていましたが、夫が亡くなった後会社を売却、それ以降は趣味を楽しんだり娘や孫たちと旅行に行ったりとまさに悠々自適の日々を過ごしていました。でも佳子さんは数年たつとそういう生活に飽きてしまったそうです。

 なぜならば、一つには、緊張感がまるでなかったからです。会社を経営していたときは毎日いろいろなことが起こりました。生活にメリハリがありました。でも、今の生活は緊張感もプレッシャーもストレスもない。何かをやり遂げたという達成感も充実感もない。このような生活を好む人もいるかもしれないけれど、「小さな会社のおかみさん」として生きてきた自分には合わなかった、毎日がメリハリなくのっぺりしたものになったと。

 もう一つは社会に役立っているという実感がないということ。以前は、会社の事業を通じて社会とつながり、また従業員を雇うことで社会に貢献しているなと思えたのですが、それも感じられなくなってしまったと言います。佳子さんは、結局、その後そういう生活をやめて、自分と同じシニア層を対象にした小さなお店を開きました。

 「商品を仕入れてお客様に提供する。在庫も抱えてリスクもありますけど、お客様が商品が届くのを楽しみにしてくれます。私にとって働くことがいかに大切か分かりました」

 佳子さんのケースで浮かび上がってくるのは、働くことが持つさまざまな価値です。単にお金を稼ぐことではない、働くことによって誰かの役に立っているという喜び。自分が少しでも成長しているなという実感。そのような日々の喜びや希望が、働くことにはあり、それはどの年代にとっても大切だということです。

 「74歳まで働く自分を想定しましょう」とお伝えしたとしても、それは現状の仕事や今の働き方を70代までずっと続けるということを意味しません。

 定年まで会社に勤める人、途中で辞めて、自分で事業を起こす人、NPO法人を立ち上げて社会課題の解決を試みる人などさまざまでしょう。「自分はどのように世の中の役に立っていきたいのか」「自分はどんなことをしていきたいか」という問いを自分に立て、そして自分の可能性を信じつつ、その選択肢をできるだけ広く持つようにするのがよいのではないでしょうか。

 会社に勤めている人であれば、いろいろな経験を積んだほうが、あなたの将来のキャリアの選択肢は広がります。その意味でも、この連載の初回で書いたように、異動のオファーがあればどんどん受けたほうがいい、昇進して管理職になれる機会があればもちろんGET! です。ためらう必要はありません。

 「子育てがまだ大変だから……」と断りますか? 子どもはいずれ育ってあなたの元を離れます。夫と育児をシェアしてそういうチャンスをぜひ生かしてほしいと思います。女性は、子育て後の人生のほうがずっと長いのですから。

 会社というフィールドでいろいろな経験をさせてもらいつつ、今の会社を離れても働いていける自分をつくってほしいと思います。会社名を外したときにでも価値を提供できるように準備をしていくことが大事だと思います。ですから、冒頭に年齢はどうであれ「定年」を意識しましょうとお伝えしたのです。

定年に向けて今からどう準備をする? (C) PIXTA


50歳で大学院入学、学び直したことで人生が広がった

 さて、では、最後に、私自身がどんな準備をしているかをお話ししましょう。

 私は、日経WOMAN編集長からひとつ上の職位である局長に昇進した50歳のときに受験をして、法政大学大学院経営学研究科修士課程に入学しました。いつかは大学院に行きたい、学び直したいというのは私の夢だったのです。

 私は編集長だった40代の半ばで自分の人生のミッションを定めました。なぜなら、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」の受賞者の共通項が自分のミッションを持っていることだったからです。

 「社会の課題を解決したい」「会社の事業で社会をよりよく変えたい」……皆さん、自分のためではなく、「誰かのために」というミッションを持ち、それについて熱く語っていました。それに感激して私も自分のミッションを持とうと思ったのです。そして、「働く女性の笑顔を増やす」「働く女性が生きやすい、働きやすい社会づくりに貢献する」ということを自分のミッションに決めました。

 そもそもマスコミに入ったのも、「女性が生きにくい社会を変えたい」ということが動機でしたから、10代の頃とあまり変わっていませんでしたね。それを言語化し、自分の人生のミッションにしました。編集長だった当時はそれを媒体ミッションとして編集部で共有したりもしました。

 そのミッションを実現するために必要だと思ったのが「キャリアに関する理論を体系的に学ぶこと」だったのです。いつかは大学院に行って学び直したい。学術的な研究もしてみたい。でも編集長だと毎月締め切りがあって難しい……。そのときに思いがけなく昇格して夜が比較的自由になったので大学院受験を決意しました。

 合格した私のところにその後「入学式のご案内」が届きました。そのハガキを握りしめて会場の武道館に向かいました。どう見ても新入生の親なので係の人からは「保護者席は2階です」と言われたりしましたが、私はアリーナのど真ん中に座りました。周りは自分の子どもよりも若い学生たちです(たぶん彼らはギョッとしたと思います)。

 そこで私は若い学生たちと一緒に来賓の祝辞を聞きました。「皆さんの前には洋々たる未来が待っています。希望と可能性が満ちあふれています」―そのような言葉をそのまま自分へのメッセージとして受け止めました。なぜなら私は50歳でしたが、自分のミッションを抱き、あと4半世紀くらい(いや30年くらい?)働こうと思い、そのために学ぼうと思っていたからです。

 2年間の大学院生活、仕事と研究の両立は大変でしたが、そこで得た学び、ご指導いただいた先生や仲間との絆は一生の宝物です。大学院修了後もいくつかの学会に所属して論文を発表したり、学術誌に投稿したり、細々とではありますが、アカデミアでの活動もしています。50歳の時点で学び直さなかったら、今の自分はなかった、あのとき決意してよかったなと思います。

後悔のない人生を歩むために… (C) PIXTA

 よくいわれることでありますが、始めるのに遅過ぎることなんて何もありません。何かやろうとするときに、「もう自分は○○歳だから無理」「もう若くないのだから」と年齢を理由に諦めてしまう女性がいるとしたら絶対にもったいないことです。自分の人生を諦めて自分の可能性に自分自身で蓋をしてしまうことが一番怖いことだなと思います。女性のキャリアにとって一番の敵はそういう考え方なのかもしれません。

 この連載の初回でお伝えしたように、女性にとって今は千載一遇のチャンスです。その機会をきちんと捉えて、自分のキャリアは自分の手で切り開く! という考えで歩んでいただきたいと思います。そのためにこの連載や私の書籍がお役に立てればこんなにうれしいことはありません。皆様のご多幸と成功をお祈りしてこの連載を終了します。読んでいただき、ありがとうございました。

文/麓幸子 写真/PIXTA


「仕事も私生活もなぜかうまくいく
 女性の習慣」
 著者:麓 幸子
 出版社:日経BP社
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Profile
麓 幸子(ふもと・さちこ)
日経BP総研マーケティング戦略研究所長
日経BP社執行役員。1984年筑波大学卒業。同年日経BP入社。88年日経ウーマンの創刊メンバーとなる。2006年日経ウーマン編集長。12年ビズライフ局長。14年日経BPヒット総合研究所長・執行役員。15年日経BP総合研究所副所長。16年日経BPヒット総合研究所長を経て現職。法政大学大学院経営学研究科修士課程修了。内閣府研究企画委員などを歴任。筑波大学非常勤講師。一男一女の母。著書に『女性活躍の教科書』『就活生の親が今、知っておくべきこと』など多数

Provider

日経ウーマンオンライン

2017/08/22掲載記事を転載
いつまで働けばいい? 74歳まで働ける人生の描き方