6歳の娘を失った経験が原動力で「こどもホスピス」 

6歳の娘を失った経験が原動力で「こどもホスピス」 

2020/02/12

NPO法人横浜こどもホスピスプロジェクト・田川尚登さんインタビュー前編。「パパ、帰らないで!」娘の涙に後悔も

小児がんや心臓疾患などの重い病気と闘っていて、命が脅かされている子どたちがいます。彼らは学びや遊びの機会を奪われるなど、病気以外にも多くのハンディを抱えています。さらに、親やきょうだいも、心身に重い負担を背負うことになります。
こうした子どもたちと家族を支える施設「こどもホスピス」の設立を目指しているのが、NPO法人横浜こどもホスピスプロジェクトです。代表理事の田川尚登さんは、自身も娘のはるかちゃん(当時6歳)を、脳腫瘍で失いました。田川さんに自身の体験と、ホスピス設立にかける思いを聞きました。

こどもホスピスは楽しい「お家」 成長し続ける患児をサポート

―― 「こどもホスピス」とは、どのような施設でしょうか。

田川 「ホスピス」と聞くと、治る見込みのない人が最後に死を待つ場所、というイメージが強く、わが子を送り出すことに抵抗を覚える親も多いかもしれません。しかし「こどもホスピス」は、子どもたちの「生」を支える施設なのです。

 命に関わる重い病気と闘う子どもは、国内に2万人前後いるとされています。患児の多くは、入院や通院のために家族や友達と引き離され、通学や習い事、旅行や遊びなども思うようにできなくなってしまいます。「こどもホスピス」は、病気の子どもたちに楽しみや学びの場を提供し、実り多い生活を送ってもらうための「お家」なのです。

―― 田川さんご自身が1998年、二女のはるかちゃんを脳腫瘍で亡くされています。

田川 はい。はるかが6歳の時、余命半年と宣告されました。しかし彼女は服薬の影響で腫れてしまった顔を「面白い」と笑い、右手にまひが出ても、左手で上手に箸を使えるようになりました。亡くなるその時まで常に生きる楽しみを見つけ、成長し続けていたのです。はるかと過ごした日々が後年、子どもの成長や楽しみを支える施設である「こどもホスピス」を作りたいという考えにつながりました。

―― 最初はなかなか、病気を受け入れられなかったのではないでしょうか。

田川 はい。ある日突然、主治医から「治療法はありません」とすぱっと言われ、非常に冷たい人だと感じましたし、「そんなはずはない」と治療法を探し回りもしました。

 余命宣告では、私たちだけでなく多くの親が深く傷ついています。ショックのあまり、セカンドオピニオンなど次の行動を起こす意欲すら失ってしまうこともあります。

 告知後、病に苦しむ子どもに向き合うことも、親にとっては並大抵の苦労ではありません。「こどもホスピス」は親たちが心身のケアを受け、休息する施設でもあります。

はるかちゃん、放射線治療前に自宅にて外泊のお祝い(写真提供/田川さん)

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2020/02/07掲載記事を転載