専業主婦から一転 離婚から始まった波乱万丈キャリア

専業主婦から一転 離婚から始まった波乱万丈キャリア

2018/07/26

結婚、出産、離婚…怒とうの人生イベント 住み込み事務に

 29歳の時に幼い子ども二人を抱えて離婚。ビジネス経験のなかった専業主婦は、どうやってベンチャー企業を立ち上げるまでになったのでしょうか? 女性に特化した人材派遣、ビースタイルの子会社として働く女性たちを支援する食品事業を行うネオベジを立ち上げ、取締役COOに就任した小嶋ともこさんに、波乱万丈なキャリアの軌跡について伺いました。


人生で大事なことはすべて高校の部活動で学んだ

――小嶋さんは24歳という若さで結婚され、その後しばらく専業主婦をしていたと伺いました。まずは結婚前のことを教えてください。

小嶋さん(以下、敬称略):私自身、早めに結婚したいと思っていたわけではないんです。そもそも結婚するまでにはいろいろとありまして……。

 私は小学校2年生からソフトボールを始め、小、中はオリンピック出場を夢見て、本気で競技に打ち込んできました。そのおかげで高校は全国大会で連勝するようなソフトボールの強豪校に推薦で入り、朝から晩まで練習漬けの寮生活……を送るはずだったのですが、1年生の時に膝をケガして、選手として競技を続けることができなくなってしまったのです。

 推薦で体育科に入学していたため、競技が続けられない場合は退学となるはずだったのですが、仲間たちや顧問の先生の計らいで、なんとかマネジャーとして部に残ることになりました。

――というと、スポーツ漬けの毎日だったということですね。真剣にスポーツに打ち込んでいたのに、マネジャーに転身するのはつらい選択でしたね。

小嶋:「オリンピック出場」が夢だったので、ショックは大きかったですね。でも、それ以上にチームメートとは一緒にいたかった。そういう意味で、マネジャーとしてチームに残れたのはうれしかったです。

 ただ、このマネジャーの仕事がものすごく大変で……。50名以上の部員を抱える大きな部だったのですが、当時は、毎月行われる合宿や遠征のために宿泊施設やバスの手配、合宿中の選手のために料理や洗濯をしたりする仕事をたった一人でこなしていました。

 中でも結構大変だったのが、子を思うばかりに何かと口を出したがる選手の保護者たちへの対応です。

 選手、監督、保護者というさまざまな立場の関係者とうまく調整を図りながら、私は常に「どうやったら相手に気持ちよく動いてもらえるか」を同時並行で考えて一つ一つ取り組んでいました。考えるより先に体が動く私の性格は、高校3年間の「ザ・体育会系」生活によってつくられたように思います。

歌手を夢見て上京。夢破れてまさかの…

――高校卒業後にまた転機が?

小嶋:実は私、小さい頃から「歌手になりたい」という夢を持っていまして……。歌うことも大好きだったので、高校卒業後は両親に「チャレンジさせてほしい」と頼み込んで上京したんです。

――歌手、ですか。それはまた大きな夢ですが、夢をかなえるためにどんな生活を送っていたんですか。

小嶋:一人暮らしをして、アルバイトをしながら、歌のレッスンに通ったり、オーディションを受けたりする生活を送っていました。ある時、デビュー前のAIさんのデモテープを聞く機会がありまして、その時に、スパッと歌手の夢を断念しました。

 デモテープから伝わってくるAIさんのパワフルな歌声に圧倒されたのです。瞬間的に「ああ、私はどんなに頑張ってもこの人を越えられない」と感じてしまいました。確か、20、21歳の頃のことです。

――「夢」だったものを、そんなにすんなりと諦められたのですか。

小嶋:はい。私は決断が速いほうなんですよ。歌手はすっぱり諦めましたね。その後、はて、何をやろうか……となりました。当時、アルバイトをしていたのはアパレル販売の仕事で、私はかなり売り上げがよかったため、「正社員になって、販売の指導係になってほしい」というオファーもあったのですが、ずっとこの仕事でいいのだろうか? と思うとそうでもない気がして、結局お断りしてしまいました。

 一方、実家からは「いいかげんアパートを引き払って早く帰ってきなさい」と言われ、「どうしよう。実家に帰りたくない」と迷っていた時にご縁があった方がいまして。ご両親にも気に入っていただき、一緒に住み始めて間もなく、その男性と結婚することになりました。24歳の時でした。

――え! そんなふうに勢いで結婚して大丈夫だったのですか。

小嶋:私自身、早く結婚しようと思っていたわけでもなかったので、自分でもびっくりしました(笑)。すぐに長男を授かり、妻になり、母になり、慌ただしい日々を過ごしていました。

結婚、出産、離婚そして初めてのパソコン

小嶋:そうこうするうち、次男も生まれ、専業主婦になりました。数年たって、家事にも育児にも慣れて、いろいろ考える時間ができてきました。実は当時、夫とうまくいっていなくて、暴力を受けることもあったんです。子どものために我慢していましたが、子どもに対して声を荒げた彼を見た瞬間、「もう無理だ!」と思い、離婚を決意。二人の子どもを連れて家を出たのです。

――そこで、お子さん二人をシングルマザーで育てていこう、と決意したというわけですね。

小嶋:いえ……。それが……。決意した時点でも、私は離婚後にどうするのか、深く考えていませんでした。

 離婚して家を出ることになってから、友人、知人に「私、住む所も仕事もないのだけど、どこかない?」と片っ端から声を掛けました。すると、「マンションの一室を事務所として借りて新しい事業を始めるので、そこで働いてくれるなら住んでもいいよ」と言ってくれる方がいて、なんと住み込みの事務として雇ってもらえることになりました。

――なんだか波乱万丈ですね……。住み込みの事務とはどんな仕事をするのですか。

 仕事内容は「営業事務」と言えば聞こえはいいのですが、実際は職場兼自宅の掃除、電話番、荷物の受け取り、来客の接待など雑務全般です。仕事中は長男は幼稚園に通い、まだ小さかった次男は職場兼自宅で見ながら、両立の日々が始まりました。そこで人生初めてのパソコンにも挑戦。電源の場所すら分からず、メール一本も打てなくて。働きながら仕事の基礎を学んでいく生活が2年ほど続いたのです。

後編に続く

文/井上佐保子 写真/鈴木愛子

Provider

日経ウーマンオンライン

2018/07/26掲載記事を転載
専業主婦から一転 離婚から始まった波乱万丈キャリア