「専業主婦か、働くか」論争の「忘れ物」

「専業主婦か、働くか」論争の「忘れ物」

2018/06/01

「一度も働いたことがないの? 信じられない」に返す言葉

 私たちには、専業主婦か、働くかの二択しかないのでしょうか?

 日経WOMANオンラインでは、5月中旬から約2カ月にわたり、「専業主婦からのキャリア」と題して、「自分らしく自由に、幸せな人生・新しい働き方をつかみ取るために必要なこと」を模索する特集を組んでいます。

 専業主婦経験のある女性たちがビジネスの現場で大きな活躍を遂げている昨今、もう「専業主婦 or NOT」の二項対立で女性が人生を考えたり、お互い反目するような時代は過ぎたのではないか。

 かつて専業主婦として「こんなのは私じゃない」と自分自身を認めることができずに苦悩した私ですが、結婚以来22年たち、どの時代も現在の自分にとっては必然だったと思えるようになりました。

 ママ友関係に疲弊し憎悪していた専業主婦時代も、コマ給で黒板の前に立ちっ放し、しゃべりずくめで働いていた学習塾講師時代も、フリーランスとして自分の裁量で仕事をする現在も、今の私の仕事を形づくっている。

 専業主婦の私も、働いている私も、一人の人間であり、表裏一体の私自身なのです。

 専業主婦を軽視・否定することも、働く女性を軽視・否定することも、どちらも本質は「もう一人の自分に唾を吐くこと」だと、私は思っています。

「あなた、働いたことがないの? 一度も? 信じられない」

 学生結婚・出産をして就職せずに「新卒お母さん」になった私には、全く無収入の専業主婦時代も、いわゆる「扶養範囲を超えずに収入を得る」主婦時代もあり、扶養を出たり入ったりしてきました。だから、「専業主婦」と聞いただけで途端に牙をむくキャリアウーマンの言葉に、専業主婦としてひどく傷ついたこともあります。

 上の子どもがまだ1歳半、私自身が24歳だったでしょうか。私はそこそこ勉強をしていたつもりの大学を卒業して、でも大学院に進学しなかったのは、ひとえに私に研究と子育てを両立する自信と経済力がなかったからでした。夫は新卒で企業に勤め始めたばかり。収入も働いた経験もないくせに子どもだけはいる私が、そのタイミングで合格通知をもらっていたアメリカの大学院になど行けるわけも、その資格もなく(と自分で思い込み)、しばらくは専業主婦として小さな子どもと平日ワンオペ育児を続けながら、代わりに1990年代後半当時はやっていた「米国公認会計士」資格を取得することにしました。

 東京の一等地にあるそのスクールには、会計士や投資銀行、コンサルタントへのキャリアアップを目指すサラリーマン、サラリーウーマンだけでなく、一度就職した会社をなんらかの理由で退職した人や、当時日系金融業界で吹き荒れていたリストラに遭った人もいました。

 それだけホットな場所でもあり、皆とても意欲的で、中には自分を追い込んでいる人もいたのでしょう。受験日が数カ月後に迫ったある日の授業の休憩時間、隣に座った30そこそこの女性に試験に関して小さな質問をしたらとても邪険に扱われ、「どこに勤めてるんですか?」と直球で聞かれました。

 「子どもが小さいので専業主婦です。大学卒業後、就職できなくて」と正直に答えた時の、彼女の表情と声音を忘れたことはありません。

 「あなた、働いたことがないの? 一度も? 信じられない」

 そのまま彼女はプイと顔を背け、二度と会話をすることはありませんでした。

 一度も働いたことのない、子育てしかしたことのない専業主婦って、「真剣に働いている」キャリアウーマンから、そんなに忌み嫌われるものなのか。そんなに話もしたくないほど、価値のないものなのか。

 もちろん私の事情をつまびらかに話したわけではありませんから、彼女自身が個人的に持つ「働いたことのない専業主婦」へのイメージや強い感情が噴き出したのだと思いますが、私はそこで、専業主婦としての自分自身のコンプレックスをそれはそれは深ーく掘り込むことになります。

 社会から価値のない存在として扱われることは、誰であれ、ひどくつらいものです。だから専業主婦をひとくくりにして「寄生虫」とまで罵倒するようなSNSの激しい論調を見ると、その当人が女性であれ男性であれ、思慮のなさと、むしろ必死さだけが強く印象付けられます。そして思います。「そこまで専業主婦を憎むのには、この人の中にきっと何か原因があるのだろう」。

女たちが専業主婦を恐れない社会もある

 思い込みの強い私は、その一件以来「専業主婦でいてはいけない」との焦燥感だけに駆られるのですが、情けないことに試験には落ち、すがる思いで予備校と学習塾の講師となって、ようやく自己肯定感的に一息つくのです。

 ちょうど子育てがとても面白かったこともあり、教育や子育ての分野を専門としたライター業も始め、その後講師業を辞めてライター業1本に絞ったのは、第2子を出産することになったからでした。

 ライター業で雑誌やテレビ・ラジオなどのさまざまなメディアに出していただくようにもなって拡大しかけていた時、また私に「扶養内専業主婦」の時代がやって来ます。

 それは、上の子どもの中学受験と下の子どもの幼稚園受験が重なり、さらにその半年後、夫の海外赴任に帯同して欧州へと渡ることになったためです。でも結婚から12年たっていろいろな女性の生き方を見聞きし、自分の人生を自分でハンドルする自信もつき始めていた私は、積極的な選択として扶養内主婦を選んだように思います。

 まず渡ったスイスの生活は、初めてのことばかりでした。世界各国から国際機関に送り込まれた金融政策エリートの妻たちが、日中は子どもをインターナショナルスクールへ通わせ、自分たちはその国際機関が持っているスポーツクラブに集い、スポーツと美食と社交に花を咲かせる。スイスでは、その家族は外交官待遇です。

 何かの拍子にたまたまそんなきらびやかな世界へ送り込まれてしまった、一介のサラリーマン家庭であるわが家。その様子を面白おかしく原稿にして月に1~2本日本へ送る、細々とした執筆生活をする以外、専業主婦として生活していた私は、インターナショナルスクールの日本人代表を務めます。行事の準備やら、学校のお手伝いやら、読書会や講演会やら、他の各国代表のお母さんたちと毎日「プチ国連」状態で過ごしていました。

労働流動性が高く、女性活躍が当たり前の社会ではこうも違うのか

 そんな中で、彼女たちの生き方にも触れました。それぞれの母国からいわゆる「エクスパット」として外国住まいをしている彼女たちは、もともとは大変な高学歴の研究者だったり、医療従事者だったり、金融キャリアウーマンだったり、作家だったりするのです。その彼女たちが「子育てと向き合いたいから」「子育ても大事な仕事と考えているから」「今は家族と外国暮らしを楽しむ」と決めて、専業母親業を請け負い、インターナショナルスクールへの子どもの送り迎えをせっせとしているのでした。

「今は」。

 それは、労働の流動性が高い社会から来た女性たちならではとも思いました。今、専業主婦だからといって、一生専業主婦なわけではない。本国に帰ったら、子育ての手が離れたら、あるいは自分が働くと決めたら、またいつでも自由に戻れる。いや、自分の意思として、戻る。どういうかたちでも、働く場を見つけてみせる。

 女性が働くのが当たり前の社会では、自由に「働くモード」と「働かないモード」を物理的にも精神的にも行き来できるのです。だから彼女たちは、専業主婦であることは一時的な選択であるとして、恐れないのです。

 その頃日本では、一度専業主婦になったら、一生専業主婦なのだろうと皆がまだ信じている時代でした。一度仕事を辞めて専業主婦になった女性ができることといえば「せいぜいがパート勤め」で、「家計の助け」という観念から、男も女も自由になれていませんでした。

 女性が働くとはすなわち企業や組織に勤めてお給料をもらうことだ(そしてそれ以外は格好がつかない)、という発想の乏しい時代は、働く女性の姿にバリエーションがなかった。でも、女が働いて対価を得る方法なんて、企業に吸い上げられる以外にも方法はたくさんあったことに、今、日本はようやく気付いたように思います。

 パートタイムで医者をする、起業する、お店を開く、ソムリエ資格やピラティス講師資格を取って勤める、自分で学習塾やピアノ教室を開く、ネイルサロンを開く、作家になる、子どもの学校のパートタイム教師になる。これらは全て私の周りの実例ですが、自分の能力と使える時間次第で、ワークスタイルは、本当はいくらでもデザインできる。

「私、働かなかった日は一日もありませんよ?」

 冒頭でご紹介した「専業主婦からのキャリア」特集の記事の一つに、このような読者からの声がありました。

◆ 共働きでも専業主婦でも、どちらの選択をしても尊重されるようになればいいのにと思います。専業主婦が多かった時代は共働きが珍しい生き方であるかのように扱われ、今は共働きが当たり前の時代に変わり、私の友人の専業主婦は専業主婦でいることに後ろめたさを感じると言います。また女性だけでなく、もっと男性が専業主夫になってもいいのではないかと思います。窮屈な環境を変えたいです(41歳、建設、経理、既婚、会社員・一般職)
「専業主婦は肩身狭い、働きたいのに夫NG…読者の本音」より

 「今は共働きが当たり前の社会だから、両立を選ぶ」というのも、それはそれで周りの空気に押された発想で、窮屈です。専業主婦に本当になりたい人が肩身の狭い思いをするのもおかしな話。

 「専業主婦 or NOT」論争の忘れ物とは、専業主婦も働く女性も、どちらも同じ一人の女性の、時期(人生のフェイズ)に応じて見せる姿にすぎないのだという考え方です。そして、夫婦間のどういった割合で収入を得ているかのバランスこそ違えど、専業主婦であっても子育てや家事や介護に必ずなんらかの責任を負って「働いている」ことには間違いがなく、そこに敬意が払われず存在がまるで無価値のように言われるのも、おかしな話です。

 結婚し、子育てを始めて22年たった私なら、かつて投げられた「あなた、働いたことがないの? 一度も? 信じられない」の言葉に、こう言い返すこともできるかもしれません。

 「企業には勤めていなかっただけで、家庭人として、職業人として、いずれにしても『働かなかった』日は一日もありませんよ?」

文/河崎環 写真/PIXTA

Profile
河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。家族の転勤により桜蔭学園中高から大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での生活を経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。多岐にわたる分野での記事・コラム執筆を続けている。子どもは20歳の長女、11歳の長男の2人。著書に「女子の生き様は顔に出る」(プレジデント社)

Provider

日経ウーマンオンライン

2018/06/01掲載記事を転載
「専業主婦か、働くか」論争の「忘れ物」