小西美穂「仕事にガツガツ挑戦する人生も悪くない」

小西美穂「仕事にガツガツ挑戦する人生も悪くない」

2018/03/12

背伸びしてつかんだキャリア その先に新しい景色と出会い

 「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員の小西美穂さん。初の著書「3秒で心をつかみ10分で信頼させる聞き方・話し方」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)で披露された「仕事や人生を豊かにするコミュニケーション術」を聞きに昨年秋に取材をした日経ウーマンオンラインチームは、まさにその取材現場で「これぞ信頼を集める行動!」と感動するシーンを目の当たりにすることになった。

【大好評だった小西さんインタビュー】
■ ホンモノの神対応を取材現場で見せてくれた
 → 「「これが3秒で心をつかむ『ほんわかコミュニケーション』
■ 人に好かれるコミュニケーションの極意は
 → 「困る雑談『今日の天気』が効果大 誰でもできる会話術
■ 勇気づけられた40代からのリアルな「婚活話」
 → 「仕事も結婚も 人の話を素直に聞いたらこんなに変わる

 小西さんの魅力に打ちのめされてしまった取材チームは、第2弾のインタビューを決定。今度は小西さん自身のキャリアの軌跡にスポットを当て、「女性が組織の中でしなやかに、自分らしく夢を追いながら仕事を続けるコツ」についてじっくり聞いた。


「異例だらけ」の泥臭い挑戦の連続

――「news every.」で担当されている「ナゼナニっ?」コーナーでスマートに解説する姿や、他の出演者の方々と笑顔で掛け合いをする様子を拝見していると、小西さんは順風満帆にキャリアを積んできたように思えます。今に至るまではどのような道のりを歩まれてきたのでしょうか?

 私のキャリアを振り返ると、「異例」だらけで順風満帆とは程遠い、泥臭いチャレンジの連続だったんですよ。特に30代は私にとって怒涛(どとう)の時代。無我夢中で坂を登っていました。

 ざっと説明すると、私は兵庫県出身で関西の大学に進み、学生時代は当時無名スポーツだったラクロスに没頭。選手として日本代表に選ばれ、ラクロス自体の普及活動にも力を注いでいました。そのままスポーツの世界に進もうかとも思いましたが、周囲の勧めもあって就職活動を始め、とんとん拍子で読売テレビに入社。取材記者としてキャリアをスタートしたのが1993年のことです。

 阪神・淡路大震災、和歌山毒入りカレー事件などを担当しながら仕事を覚えるにつれ、「視聴者に代わって話を聞きに行き、伝える」ことにやりがいを感じるようになりました。

――弁護士の大平光代さんを取材したドキュメンタリー企画は、書籍として出版もされて発行部数200万部超のベストセラーに。小西さんにとって大きな転機だったのでは。

 はい。私がちょうど30歳の頃で、とても成長させてもらえた仕事でした。そしてその翌年、まさか自分に声が掛かるとは思いもしなかった「ロンドン赴任」の話が来ました。本当に驚きました。

 なぜなら、当時は海外の特派員というのは、男性の妻帯者がなるのが通例で、女性が単身で派遣されるというのは異例中の異例。ずっと憧れていたポストでしたが、まさか自分にチャンスが降って来るとは思わなかったのです。

 海外特派員は記者にとってまさに花形。ほんの一握りの人しかつかめないチャンスが巡ってきた。「行かせてください!」と即答したい気持ちが半分、でも、迷いも半分ありました。

32歳、この先の女の人生を考えて迷う

 30代は女性にとって結婚や出産などのライフイベントと重なる時期。「これから先の女としての人生を考えたら、ロンドンに行く選択は正しいのだろうか」と真剣に悩みました。任期は3年。ちょうど32歳の誕生日を迎えた頃でしたから、帰ってくる頃には35歳。当時は高齢出産の例も今ほど聞かれず、「もし子どもを産むとしたらギリギリだよ」と、もう一人の自分がささやきました。

 背中を押してくれたのは、ある同性の友人です。迷いをそのまま打ち明けた私に、「美穂ちゃん、絶対に行ったほうがいい」とキッパリと言ってくれたのです。

 「もしも行かなかったら、あなたの代わりに男性の後輩が行くことになるでしょう。国際報道が流れた時、自分が行くはずだった場所に後輩が立っていたら、美穂ちゃんは画面を見ていられないと思う。もしかしたらこの仕事そのものを嫌になってしまうかもしれない。そんなこと、あってはいけない。それに、私は今35歳だけど、この3年間、なんてことない3年だったよ。何も失うものはない。大丈夫。行ってきなさい!」と……。

――(取材陣一同、ジーン)

 (涙をぬぐいながら)この話、思い出すだけで感極まってしまって、ダメですね。女の友情については、またゆっくりと話しますね。

 この言葉に奮起して、私はロンドン行きを決め、思い切り現地で仕事をして3年後に戻ってきました。帰国後は記者をまとめるデスク職に就くものと思っていましたが、今度は日本テレビに出向せよと。

人脈ゼロからの東京進出、転籍後は契約社員から

 ローカル局から全国ネットの放送局へ。関西を出て初めての東京進出です。進学や就職で上京するのもドキドキするものと思いますが、30代半ばで挑む東京生活も戸惑いの連続でした。

 なんといっても、「(銀座の地名の)数寄屋橋に行ってください」と指示を受けて取りあえず付近に向かって「どこに橋が?」と道をさまよい、「今日は(六本木にある複合オフィスの)泉ガーデンに行ってください」と言われて「庭、庭、どこの庭?」と探すレベル(笑)。

 しかも、これまでやったことのない政治部への配属。政治の取材に不可欠といわれる議員とのネットワークも、ゼロから築き上げるという一大プロジェクトです。

 永田町に行くのも初めて。忘れもしませんが、国会議事堂に初取材の日、「ここがテレビでよく見る正面入口かぁ~」と門をくぐろうとして、「報道の方はあちらです」と警備員に止められたこともありました。

 それでもめげず「じゅうたんの赤は思ったよりも朱色っぽいんだな」「わわ! ホンモノの田中眞紀子議員(当時)だわ」とフレッシュな気持ちで、新しい世界に飛び込んだ自分を楽しんでいましたね。

 政治家の知り合いも一人もいませんでしたから、議員事務所を訪ねてご挨拶から。「君、ここでは関西弁は控えなさい。永田町では、全国から集まるのが当たり前なんだから、みんな地元の言葉は控えているんだよ」と教えていただいたこともありました。「はい、分かりました」と小さくなったのを覚えています。

 大阪で事件記者一筋だった私は、政治取材のイロハも知らない。取材も原稿書きも、何をやってもうまくいかず時間がかかる。同僚には迷惑をかけまくりました。朝から晩まで必死の毎日で、気付いたら1日にサンドイッチ1個しか食べていないということもざら。帰国後3カ月で5キロやせてしまいました。

――今でこそ、政治家はもちろんさまざまな分野の方々から信頼を集める小西さんにもそんな時代があったんですね。

 「きっついなー」と歯をくいしばることもありましたよ。慣れるまでに人一倍の努力をしなければいけませんでした。でも、それに勝るやりがいも感じました。やはり、自分が取材して伝えたいことが全国のテレビで流れるという手応えは全国ネットの放送局ならでは。国政の取材も東京でないとできません。

 その味わいを一度知ってしまった私は「ここでもっと頑張っていきたい」という気持ちを止められなくなり、ついに読売テレビを退社して、日本テレビに入社するという決断に至りました。

 これもまた、とっても異例のことで、同じ系列であっても読売テレビから日本テレビに完全に籍を移したという例は、後にも先にもありません。全く別の会社なので転職と同じなんです。安泰な正社員の立場を捨て、有期雇用の契約社員としての再スタートでした。

 大阪ではスクープ賞や社長賞を受けて特派員もやらせていただいて、そのまま残っていれば、特に苦労もすることなく仕事ができたのかもしれません。でも、やっぱりチャレンジしたかったんです。年齢は36歳になっていました。

36歳からの背伸びの挑戦は間違いではなかった

――36歳であえてチャレンジを選ぶ大決断。30代半ばを過ぎると、どうしても「守り」に入りたくなる人が多い中で、小西さんを駆り立てたのは何だったのでしょうか?

 「記者として自分がどうありたいか」という自分の仕事のスタイルを磨き続けたい。そんな気持ちがあったのだと思います。自分のスタイルを磨くためにより最適な場所やチャンスがあれば、飛び込んでいこうと。

 ロンドン赴任の時も日テレへの転職の時も、私にとっては「身の丈よりも上を目指す背伸びの経験」でした。でも、やってみて間違いではなかったと思います。

 自分の実力以上に背伸びをして努力するのはしんどいことです。でも、背伸びをするから見えてくる新しい風景や出会いがある。すると、人生の選択肢の扉がパーッと開いてくるんです。

 もちろん、「背伸びはせずに楽を選ぶ」という道もありです。ただし、本当に納得してから選んでほしいと思います。後になって「やっぱりああすればよかったな」と後悔する人生が一番つらいですから。

 最近、仕事で結果を出せなかった後輩から相談を受けたのですが、彼女が「私、あの時どうしたらよかったのかな」とつぶやいていたことがとても気になりました。きっと彼女が自分にできることを精いっぱいやり尽くしていたら「どうしたらよかったのか」という気持ちには至らないはずだと思うんです。

 「自分なりに何かを必死にやってはみたけれど、方法が間違っていた」というのであれば、少なくともやった分の成長は感じられる。「やらなかった後悔」だけは抱えないように、その時にできる全力を尽くしたいと私は思っています。

なぜ、チャンスを生かせたのか?

――目の前にチャンスが来たら、やってみる。その繰り返しが今の小西さんをつくったんですね。

 実は、私が「女性としてのキャリア」を考える中で、最初に影響を受けたのは、ニューヨークの特派員だった、乳がんで亡くなったジャーナリストの千葉敦子さんという方です。当時、千葉さんが日本の女子高生に向けて書いたメッセージ「The sky is the limit」(原文は英語/和訳は「限界は天高くに」)を読んだときは、雷に打たれたような衝撃でした。

 「あなたは何にだってなれる」「自分の目標を高く掲げ、今できることから第一歩を踏み出すのです」「限界は天高くに、ということをいつも忘れずに」――彼女の力強い言葉に、女性の生き方にはこんな世界もあるのだと、気付かされました。海外の特派員になりたいと思ったのも彼女に憧れて……。諦めないで挑戦し続けることの大切さを教えてくれた大事な言葉です。

 もう一つ、「チャンスが来た時に即反応できるよう準備だけはちゃんとしておく」ということも、私の経験からお伝えしたいことです。

 「海外で働きたい」「新規事業を手掛けたい」「もっとクリエーティブな部門に異動したい」……何でも「やってみたい」と言うのは誰にでもできますが、本当にその実力に見合うだけの努力をしているかどうかが大事。

 語学や資格の勉強をしてみる、マーケットのリサーチをする、企画書を書いてみる。とにかく「今できること」から準備をしておく。

 すると、いざチャンスが巡って来た時に「はい、私、できます!」と自信を持って手を挙げられますよね。


がむしゃらに仕事に挑戦する30代も悪くない

 何より、そんな努力をきっとチャンスの神様は見ている。いつか巡ってくるんです。願えばかなうと言いますが、私は「強く願って準備するとかなう」と信じています。

 私がそうだったように、女性の30代は、いろんな声が聞こえてくる中でキャリアの選択に迷う時期だと思います。

 でも、がむしゃらに仕事にチャレンジする30代も悪くない。あの時頑張れた私がいたから今の私がいる。後になって、その努力の価値の大きさが分かるんです。

聞き手・文/宮本恵理子 写真/稲垣純也

Profile
小西美穂(こにし・みほ)
日本テレビ解説委員・キャスター。1969年生まれ。読売テレビに入社し、大阪で社会部記者を経験後、2001年からロンドン特派員に。帰国後、政治部記者を経て日本テレビ入社。BS日テレ「深層NEWS」ではメインキャスターを約3年半務め、現在は報道番組「news every.」でニュースを分かりやすく解説。関西出身の親しみやすい人柄で支持を集める。著書に「3秒で心をつかみ10分で信頼させる聞き方・話し方」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。インスタアカウントはmihokonishi69

Provider

日経ウーマンオンライン

2018/03/12掲載記事を転載
小西美穂「仕事にガツガツ挑戦する人生も悪くない」