資生堂CM「25歳から女の子じゃない」に無傷ですが何か?

資生堂CM「25歳から女の子じゃない」に無傷ですが何か?

2016/10/26

ネットで賛否両論 騒がれる「女の子」とは誰なのか――

 私(43歳既婚・2児の母)は、見るからに「女の子」ではありません。

 では、時計の針を戻して「女の子」になりたいかというと、それも違います。未熟であることやカワイイと褒められることに価値を置かないからです。でも、遠い昔に「女の子」であった自分の姿をそのまま認め、誇りを持っています。

 若く未熟な「女の子」時代に、みっともない姿を晒して「自己」という内的宇宙で葛藤し、「世間」という外的宇宙と戦ったから、いまのふてぶてしいおばさんの私がここにどっかりと腰を下ろして、自分の不出来さ加減も重々承知して戒めつつ、案外機嫌よく生きている、そう思っています。

 その昔「女の子」だった私が思うに、「女の子」とは、すべての女性がいつか卒業すべき、向こう見ずで他者への想像力に欠けて残酷で、未成熟なくせに幼い万能感に溢れてぐるぐる葛藤する、そんな幼少からの成長の過渡期を指す言葉なのではないでしょうか。

 私なら早くサヨナラしたい。でも出来の悪い私は、実は結構時間がかかってしまって、30歳手前くらいまでずっと苦しかった。

 「女の子」であることは特権などではありません。

資生堂CMは女性差別だったのか?

 先日、資生堂インテグレートのCMが女性差別的だとしてネットで炎上し、資生堂広報部は「大人の女性になるために試行錯誤している女性を前向きに応援するという、こちらが意図していたメッセージが視聴者に十分に伝わらなかった」「非常に残念に感じている」として、CM放映の打ち切り、ネット動画の削除に至りました。

 このCMは第1弾と第2弾があり、どちらも批判の対象となりました。例えば第1弾では、主役の女性が、25歳の誕生日パーティーにて、同じ年ごろの同性の友人たちから

 「今日からあんたは女の子じゃない!」
 「もうチヤホヤされないし、褒めてもくれない。下にはキラキラした後輩。週末ごとにアップされる結婚式の写真。このままじゃヤバイ。何で!? いつから私こうなった!? カワイイという武器はもはやこの手にはない!」

 との現実を知らされ、

 「可愛いをアップデートできる女になるか、このままステイか」

 との話から、みんなで「アップデート=成熟と更新」を選択する、という筋書きです。

資生堂打ち切りCM「25歳からは女の子じゃない」にどう思いましたか? (C)PIXTA

 このCMは、昭和の時代のような「いつまでも若く可愛気のあるか弱い女の子でいろ」「そうでなくなったらお前の女としての価値はない」なんてメッセージとは真逆の方向性。炎上したとの報道を聞いて、さぞかしひどいセンスのCMなのではと想像していた割には、これを見て「いや、このCMのメッセージは、むしろ時代をちゃんと研究して誠実につくっているのではないか?」と拍子抜けした人も多かったようです。

激しく非難した女性たちの心理

 25歳にもなれば「女の子」などという感覚を自発的に脱ぎ捨てる人も多いでしょう。社会人ならなおさら、世間知らずであることを薄笑いとともに許してもらえるような未熟な「女の子」ではない、社会の一員として十分に大人の女性であろうと志向するだろうと思います。

 ところがこれに、「オンナ脅しのセクハラCM」「時代遅れ」「まんまネットにいるおっさんの価値観」などと、激しい口調で女性ネットユーザーからの批判が沸き起こりました。CMの内容に特別ひっかかることもなく見過ごし、聞き過ごすことのできた層からは逆に、なぜそんなに激昂するのか理解できないとの声もあります。

 「女を年齢で脅すなよ」「マジキモい」「もう買わねぇ」なんていう、比較的若い女性たちと思われるネットユーザーの言葉の激しさに思うのは、脅されたと感じた女性たちは、「何か」に怯えたのではないかということ。人間が何かを激しくののしるとき、「怒り」の根本にある感情は「恐怖」だからです。必死に自分を守っているのです。

むしろ年齢と未成熟の特権にとらわれている?

 彼女たちは「25歳からは女の子じゃない」という言葉の、一体何に怯えたのでしょうか。

 化粧品のCMだということから、「社会通念が若い女性の外見に何かを期待して押し付けている」と感じて傷ついたのかもしれません。あるいは、今まさに自分が深層心理で「私はもうこれまで通りではいられない。変わらねばならない」と気づいていて、でも未知の行先への怖さも感じているところに図星を指され、現実を突きつけられたような恐怖を覚えたのかもしれません。もし私がその年代だったら、同じように「は? 上から攻撃された! マジキモい!」と具体的な根拠なく反発したかもしれません。

 何かに不快にされたり、気持ちをザラつかされたりしたとき、「なぜその感情が湧いたのか」とザラつきの中を自ら覗き込んでみると、何かの真実を見つけることがあります。

 「25歳からは女の子じゃない」という言葉に脅されたと怒った女性たちは、実は若く未熟な「女の子」であることには価値がある、弱い立場の「女の子」としてちやほやされることは特権である、と思っているのではないでしょうか。そして「25」に代表される、女性の数値的な年齢にむしろ非常に敏感で、反射的に反発するのではないでしょうか。そうでなければ「25歳からは女の子じゃない」とのフレーズに「年齢で脅すなんて」と怒る理由がないからです。

私たちは簡単に傷つかない しなやかなマインドを持つ

 怒った人たちは、深層心理では「女の子」じゃなくなって「特権」を失うことを怖いと思っている。できればアップデートなどせず、今のまま「女の子」という立場に「ステイ」していたいのです。だから傷ついたのです。

 「女の子」を脱ぎ捨てるからといって、強く怖い「別の誰か」になる必要はありません。でも自分に自信をつけ、しなやか(強靭)なマインドを目指すのはいいでしょう? 受動的に「選ばれる」のではなく能動的に「選ぶ」人生にしませんか。

 実際、能動的に「選んだ」人生を歩んでいるアラサーの女性からはこんな声がありました。

 ◆「年齢を自虐的にネタにしている女子もいるし、ネタにもできず本当に気にしている女子もいるし、それをいじるオジサンもいるし、そんなの全く気にしないカッコいい女子もいるし。自分次第。アラサーになっていろんな人がいることを知っているので、『はいはい、この価値観の世界ですね、了解です』と思って観ていました。もはや、何とも思っていないんですけどね」(30歳女性)

 ◆「私は、具体的な年齢で何かを判断する価値観は持っていません。若くて元気でかわいいCMだなぁと思って観ていました。資生堂が『いい女になるためには25歳からアップデートだ!』と本気で思っているのなら、削除しなくてもよかったのでは、とも思います」(30歳女性)

まったく傷ついていませんが、何か?(C)PIXTA

 ほらね、自分軸がしっかりあるアラサーなら、矢継ぎ早に放たれるネットニュースに煽り立てられることもなく、「真正面から傷つく」なんてこともなく、CMはCMとして受け止め、なんなら制作の側の立場まで俯瞰することだってできるのです。「無傷」でいるしなやかさを身につけているのです。

 例えば、よく使う「女子」という言葉。もし、他人に「女子力が低い」と言われて深く傷ついたなら、あなたもまだ女子力なるものに価値を置いているから。

 そんな言葉で相手の女性を言い負かしたと悦に入る勘違いな人々には、

 「女子力とか実体のないもので人をディスった気になる奴ワロスw 人の能力を具体的に言語化できない語彙力のなさが露呈するわw 帰れww」

 くらいに(いえ、日経ウーマンオンライン読者の皆さんならもっと品良く表現されると思いますが)言い返して、しなやかに瞬殺してやってください。

文/河崎 環 写真/PIXTA

Profile
河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川県育ち。家族の転勤により桜蔭学園中高から大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での生活を経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。多岐にわたる分野での記事・コラム執筆を続けている。子どもは20歳の長女、11歳の長男の2人。著書に「女子の生き様は顔に出る」(プレジデント社)

Provider

日経ウーマンオンライン

2016/10/26掲載記事を転載
資生堂CM「25歳から女の子じゃない」に無傷ですが何か?