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成長するスポーツ自転車店舗を展開/株式会社ワイ・インターナショナル

成長するスポーツ自転車店舗を展開/株式会社ワイ・インターナショナル

成長するスポーツ自転車店舗を展開

ガソリンも電気も要らない自転車が見直されています。健康志向が高まり自転車通勤も増え、スポーツ自転車購入者も増えています。首都圏を中心に29店舗のスポーツ自転車、パーツ販売を手がけるワイ・インターナショナルの吉田靖夫会長に今後の事業展開を聞きました。 (編集部 鈴木)

吉田靖夫氏 吉田靖夫(よしだ・やすお)
1943年、埼玉県生まれ。1898年(明治31年)に祖父の朝蔵が埼玉県内で吉田自転車店を創業。大学を卒業した2年後に父が亡くなり家業の自転車店を継いだ。パンク修理に明け暮れ、先が見えないため、30歳のときにスポーツ自転車販売とメンテナンス中心の店に業態を変更した。これまでの経営哲学を吉田はこう表現する。「迷いながら走り続けた青春の道。やっと見つけた素晴らしい未来への出発」。

好調だった前年業績から一転、今年は我慢の年に

 国内のスポーツ自転車販売の草分けといわれる「Y's ロード」(ワイズロード)を展開する吉田靖夫会長は、2012年に入ってからの業績推移に注目している。昨年は3月の東日本大震災の直後から電気もガソリンも要らない自転車が注目され、在庫がなくなるほど売れ、2011年の国内自転車出荷台数は、前年比12%増となった。

 「去年の売り上げが急に伸びたから、今年の業績はやや落ちている。何でも急に売れたりするのは良くないこと。反動がこわいからね」と埼玉県志木にあるワイ・インターナショナルのオフィスで腕組みをしたまま言葉を選んだ。

 創業は1889年と古い。自転車のパンク修理が主な収入源だった先代。「祖父は10坪ほどの小さな自転車店を営んでいたが、継いだ父は早く亡くなった。何とか、変えたいと思い、私が30歳のときに見よう見真似でスポーツ自転車店を始めた」。当時は都内でも数少ないスポーツ自転車店を埼玉に出すというのは、大きな冒険だった。

 「お客さんに教えてもらいながら、10年ほど続けて、ようやく一人前になれた、と思った」と振り返る。あれから、30年。昨年秋にオープンした渋谷店を入れると、29店舗となり、昨年の売上高は70億円だった。人口減や所得減などで国内消費が細る中で、順調に業績を伸ばしている。

 吉田は順風満帆だった事業に今年に入ってから少し逆風が吹いていると感じている。ユーザーの乗車マナーの質が落ちていることだ。スポーツ自転車は半数以上が価格5万円以上と高額だが、東日本大震災後、通勤で利用するサラリーマンが増えている一方で、ブレーキがない競技用自転車「ピスト」の違法走行問題も浮上した。

 これをとらえたマスコミ報道では、「道路でのマナーを守らない人が多い」「ブレーキのかからないピスト違反者が出た」など、スポーツ自転車のイメージを損ねるニュースが相次いだ。「スポーツ自転車が今後も、社会全体に認知され続けるかどうか、心配だ」とつぶやく。

IT経営力大賞に輝く

 スポーツ自転車はドロップハンドルのロードバイク、野山を駆けるマウンテンバイク、その中間にあたる街中を走るのに便利なクロスバイクと大きく3つに分けられる。そして高額のため完成品やパーツ販売でも一般自転車より付加価値が高い。

 「今は、自転車一台50万円以上のものも珍しくない。トライアスロン愛好者が増え、専用バイクも売れている。さらにウエアで50万円もかける人もいる。ここまで高級になった自転車の中で、うちの従業員にはこう言っている。きみたちは、将来、白衣を着て、自転車を売ることになるかもしれない」。

 白衣を着た店員といえば、薬局や病院のイメージではないか。その言葉の真意は「ユーザーの健康状態を詳細に把握して、その人に合った自転車をお勧めする売り方が広がる」と見ているからだ。時代を見通す吉田ならではの予言だ。

 社内ではITをフルに活用し、約10万個のパーツをデータ管理。自社のホームページには、パーツの特価品や自転車の目玉商品を頻繁にアップして人気を呼び、月間1200万ビューを誇る。こうした努力が認められ、昨年、経済産業省の中小企業IT経営力大賞に輝いた。あまたのパーツの取り扱いには頻繁に従業員研修を行い、メンテナンス技術の向上を心がける。こうした地道な努力の蓄積が高収益を生んでいる。

 時代に先駆けてスポーツ自転車を手がけ成功を収めている同社について、業界紙「サイクルビジネス」の山根陽一氏は、「これからは健康志向の高まりでスポーツ自転車はさらに伸びる。ウエアなどの自転車関連商品も今後、注目される」と期待する。