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赤字会社を立て直し黒字化。100年企業を目指したい/日本電鍍工業株式会社

赤字会社を立て直し黒字化。100年企業を目指したい/日本電鍍工業株式会社

赤字会社を立て直し黒字化。100年企業を目指したい

父が創業した日本電鍍(でんと)工業株式会社を引継いだ伊藤麻美氏は、ラジオDJや米国宝石鑑定士の資格を持つ異色の経営者です。社長令嬢として幼いころから国内のインターナショナルスクールへ通い、恵まれた環境で育ったのですが、父の死後、会社が経営危機で倒産しました。その後、社長業を継ぎ、苦難を乗り越え、3年で黒字へ導きました。 (編集部 鈴木)

伊藤 麻美氏 伊藤 麻美(いとう・まみ)
1967年東京生まれ。インターナショナルスクールを経て上智大学外国語学部卒業。フリーランスのディスクジョッキーとしてラジオなどで活躍。その後、米国留学し、宝石の鑑定士・鑑別士資格を取得した。帰国後の2000年3月、日本電鍍工業株式会社の代表取締役に就任。現在に至る。

知恵を絞り会社のホームページを作り直す

 さいたま市にある日本電鍍工業。敷地内はこぎれいに清掃されて、メッキ工場のイメージとはほど遠い。同社の建物の中に入ると、廊下や室内にもごみ一つ落ちていない。メッキとは、金属の表面に目的に応じて他の金属を被覆し、地金属を腐食から守ると同時に装飾し商品の価値を高め、 光沢を与えることにより摩擦などの抵抗から金属を守る。 社名の「電鍍(でんと)」とは電気メッキを指す。

 メッキの工程は、一般的に次のようになっている。メッキしたい製品→酸、水洗い→研磨→表面の清浄→ さびとり→水洗、中和、水洗、乾燥→ニッケルなどでメッキ→貴金属メッキ(仕上げ)と多くの工程を重ねるため、熟練した技術が必要とされる。

 同社が得意とする貴金属メッキは、約50種類のメッキ液を独自で開発した。豊富なバリエーションの貴金属厚付けメッキを得意とする。また耐久性に優れたチタン材の陽極酸化の特許も取得している。「メッキを使ったものはほとんど全部当社で取り扱います。フルートなどの管楽器は、前から若干はやっていましたが、最近、増えています」と伊藤社長。それまでは時計が8〜9割を占めていたのだが、中国製の安物が入ってきて日本の時計製造は縮小へ向かい、メッキ会社も売り上げが落ちた。

 一般的に日本のメッキ産業では自動車部品が占める割合は高いが、「うちは大量生産方式の自動車メッキはやりません。それに大手の下請けも避けたいです」とあくまで高付加価値を生む手作業にこだわる。父が1956年に創業し、順調に育てた会社だったが、91年に急逝した。「父は関連会社などの規模が大きくなる中で社長のポストは、早い段階に有力な社員に任せていました」。その後、バブル経済の崩壊や時計市場の縮小などで赤字まみれの会社に変わり果てていた。伊藤には資産もなくて、会社を継承できるかどうか不安がいっぱいだった。そこで知り合いの弁護士に相談したら、「こんな状態でも会社は継承できます。経営に失敗しても、自己破産するだけだ、と言われ、倒産しても命はとられない」と腹を決めた。2000年に社長を引き継いだ。

 就任後、会社の存在をPRするために、従業員とともに知恵を絞って自社のホームページを作成した。当時の平均年齢は59歳と高かったが、みんなで力を合わせ、何度も作り直した。どんな会社なのか、メッキってどんな仕事なのか、どんな人が担当するのか。初めて見る人にも、わかりやすくやさしさにあふれたホームページが出来上がった。

 またホームページから映像でもメッキの製造工程を閲覧できる。「一つでも引き受けます」と少数受注にも応じると語りかける。ホームページ作成後、海外からや個人からも引き合いがあり、じわじわと売り上げを伸ばしてきた。長年培ったベテランの技術力を背景に、少量多品種の注文にもフレキシブルに対応できている。

 資金繰りには苦労してきた。2000年に引き継いだときの借金は約10億円。それをこつこつと粘り強く営業しては受注に結びつけて返済してきた。「おかげさまで、ちょうど社長就任、3年目で黒字になったんですね」。伊藤は笑顔を取り戻し、これまで取引があった銀行との関係を解消したかった。

 メーン銀行とは考え方の違いから意思疎通をはかれなくなっていた。ところが「ある会合で名詞交換した相手がたまたま銀行の偉い人で、その人を通じて支店長から連絡をいただき、取引が始まりました。今では、メーンバンクになっていただいおります」

 女性経営者として相手にされなかった時期もあったが、神様は見捨てたものではない。「もちろん、増やす段階で資金繰りが行きづまってしまえば、会社は終わりなんですけど。だからといって、じゃあ人件費をカットという意味でのリストラはしちゃいけないと思っていました」