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イノベーションを興す次世代リーダーたちの視点

第18回<前編>トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社 代表取締役 中西 敦士氏

第18回<前編>トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社 代表取締役 中西 敦士氏
<はじめに>

排せつに関する悩みを抱えている人々は全世界で5億人に上るという。2017年、排せつ介護が必要な人々や介護従事者にとって福音となる機器が生まれた。排せつ予知デバイス「DFree(ディーフリー)」という製品だ。今回は、このユニークな製品のアイデアを発案し、開発を主導したトリプル・ダブリュー・ジャパンの中西敦士氏に、ディーフリー誕生の背景とご自身のキャリアを振り返ってもらった。

日本、フィリピン、アメリカで模索したビジネスのタネ

―― 起業家志向はいつからあったのですか?

中西 事業家だった祖父の影響もあって、10代の頃から経営者に興味がありました。Windows95が発売されてからは、ビル・ゲイツにも憧れましたね。いつか自分も彼のように大きなビジネスを動かしたいと思っていました。

―― 大学在学中にも起業されたそうですが、当時はどんなビジネスを目指していたのでしょうか?

中西 ロボットベンチャーを目指して大学4年の時に起業しましたが、私をはじめ集まってくれたメンバーの誰もロボットの開発経験はありません。ビジネスについても、資金集めについても、わからないことだらけです。それでいったんベンチャー企業に入り、ビジネスや経営ノウハウを学ぶことにしました。

―― そのベンチャー企業では、どのような仕事をされていたのですか?

中西 地域で配布されているチラシをPCなどで見られるようにするという新規事業の立ち上げです。ただこのビジネス自体、克服すべき課題も多く先行きが不透明だったので、翌年にコンサルティングファームに転職しました。もっと世の中の流れやビジネスの構造について学びたかったからです。

―― コンサルティングファームではどのようなプロジェクトを経験されましたか?

中西 4年間の在籍期間中、大手通信会社や大手商社が手がける新規事業のフィージビリティースタディー(事業化可能性調査)や、事業計画書づくりなどに携わりました。モンゴルから馬肉を日本に輸入して販売するプロジェクトを担当したこともあります。

―― この間、起業に必要なノウハウは得られたと思いますが、すぐに起業はしませんでした。なぜですか?

中西 サラリーマンとして出世したり、コンサルタントとして実績を積んだりする方法は見えたのですが、自分でゼロからビジネスを興す自信だけは身に付かなかったからです。この先どうしようかと思い悩んでいたとき、たまたま堀江貴文さんが出演しているテレビ番組を見て、次に進むべき方向が見えました。

―― どのような道ですか?

中西 途上国で起業につながるタネを見つけるという道です。その番組中、盛んにベトナムの若さと経済成長について語られていて、「東南アジアには、まだそういうドキドキ、ワクワクがあるんだ」と知りました。それで自分も途上国に行ってみようと思ったわけです。

―― どうやって途上国への道を開いたのですか?

中西 当時は途上国でビジネスをしている会社も知りませんでしたし、いきなり縁もゆかりもない国に飛び込むのもちょっと怖いという心境でした。状況が変化したのは、たまたま乗った電車で見かけた、青年海外協力隊の広告がきっかけです。

―― 国際協力機構(JICA)の国際ボランティアですね。

中西 はい。それまで青年海外協力隊の存在さえ知らなかったのですが、調べてみると、いくつか自分のビジネス経験が生かせそうなプロジェクトがありました。それで試験を受けたところ、無事に合格。参加を決めたのです。

―― 入隊後は、どちらに赴任されたのですか?

中西 赴任地はフィリピンのソルソゴン州グバットという町で、現地の特産品であるマニラ麻を活用し、栽培農家の収入向上を図るというプロジェクトに携わることになりました。

―― 具体的な取り組みを聞かせてください。

中西 すでにマニラ麻は日本のお札やタバコの巻紙などとして活用されていますが、農家の収入を上げるとなると、生産コストを下げるだけでなくマニラ麻の新しい活用法を考えなければなりません。いろいろ検討した結果、マニラ麻でジーンズを開発することにしました。生産効率の良いパイロットファームをつくり、そこで育てたマニラ麻を使って、丈夫で通気性の良いジーンズをつくるわけです。

―― ジーンズづくりの経験はいかがでしたか?

中西 現地の方々には「こんなに涼しいジーンズができるのか」と、とても喜んでいただけました。2年というわずかな期間で、現地の人々やマニラに進出している日本企業の協力を取りつけ、マニラ麻の栽培からジーンズへの販売にまでもっていけたのは、自分にとって大きな自信になりました。

―― その後はどのような活動を?

中西 このままフィリピンにとどまって、マニラ麻ジーンズのビジネス化に携わることも考えたのですが、せっかく英語も身に付けられたし、日本とフィリピンだけでなくもっと別の世界が見たい気持ちもあって、アメリカ留学を決めました。

―― なぜアメリカだったのですか?

中西 フィリピンでの任期が終わる間際、プロジェクトに参加した隊員にはお世話になった現地の人に寄贈する予算が渡されました。金額は日本円で20万円ほどなのですが、何がほしいかと現地の人に尋ねたところ、多くの人が「iPhoneがほしい」というのです。これが私にはとても衝撃的でした。

―― なぜでしょう?

中西 一日に何度も断水と停電が起こるようなエリアに住んでいる人たちに欲しいと思わせるiPhoneはすごいと感じたからです。「iPhoneのように世界中の人たちから求められるプロダクトをつくるにはどうすべきか。シリコンバレーに行って確かめたい」。それがアメリカに留学しようと思った動機です。


〜後編につづく〜

トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社 代表取締役

中西 敦士氏

1983年兵庫県明石市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。大学在学中に起業するも事業立ち上げには至らず、ベンチャー企業やコンサルティングファームに所属し、新規事業の立ち上げを経験。その後、青年海外協力隊に転じ、フィリピンへ赴任。現地で農民の収入向上プロジェクトに参画後、カリフォルニア大学バークレー校で学ぶため渡米する。留学中に排泄のタイミングを知らせるデバイスを発案し、2014年に米カリフォルニア州で創業。15年に日本でトリプル・ダブリュー・ジャパンを設立し、現在に至る。