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イノベーションを興す次世代リーダーたちの視点

第9回<前編>株式会社シュアール 代表取締役 大木洵人氏

第9回<前編>株式会社シュアール 代表取締役 大木洵人氏
<はじめに>

聴覚障がい者と社会との間に存在するさまざまなギャップを埋め、手話をベースとしたIT関連事業を展開している企業がある。大木洵人氏が率いるシュアールだ。自身も含め身近な家族にも耳が不自由な人がいないという大木氏がなぜ手話に関心を抱き、ITを活用した手話ビジネスに取り組むようになったのか。そこには持ち前のフットワークの軽さと課題解決に向かってひた走る飽くなき情熱があった。

軟式テニスと写真に情熱を燃やした学生時代

―― はじめに、手話との出合いを聞かせてください。

大木 実はこれといって特別なエピソードはありません。強いていえば中学2年生のころにテレビで見た番組で手話が取り上げられていて「面白そうな言語だ」と思ったことが、手話との最初の出合いでした。身近に耳が聞こえない人もいませんでしたから、そのときは興味を持っただけで終わってしまいました。

―― 再び手話と出合ったのはいつでしたか?

大木 大学に入学して半年ほど経ったときに、友人を誘って手話サークルを立ち上げたのですが、それまでは手話と関わりはほとんどありませんでした。ほかに熱中していることがあったからです。

―― どんなことに熱中していたのでしょうか?

大木 中学時代は軟式テニス、高校時代は写真に打ち込んでいました。軟式テニスでは個人戦より団体戦、写真を撮るにしても1人で撮影するより、みんなで撮った写真で1つの作品をつくることが好きでした。3人1組でエントリーする「写真甲子園」というコンテストに出たくて、写真部を立ち上げるくらい熱心に取り組んでいましたね。


―― 1人よりチームで1つのことに取り組むことがお好きだったのですね。

大木 軟式テニスの団体戦や写真甲子園の本戦は、サッカーや野球のような団体競技と違い「分業制」ではないので、それぞれが個として完結しながら、仲間意識を共有できる感じがとても楽しかったです。いまにして思えば、そころから小さな組織を束ねたり、仲間と一緒に何かに取り組んだりすることが好きだったように思います。




―― 高校時代に休学して海外留学をご経験されたそうですね。

大木 手話と出合ったのと同じころ、戦場カメラマンという職業を知りました。いつか自分も彼らのように世界を飛び回り、戦争の知られざる真実を世の人々に伝える仕事をしたいと思うようになりました。高校時代にひたすら写真にのめり込んだのも、米国の高校に進み、英語とジャーナリズムを学ぼうと思ったのも、戦場カメラマンになる夢をかなえるためです。結果的に戦場カメラマンにはなりませんでしたが、あのとき家族と離れ、母語である日本語が通じない環境で暮らした経験は、手話ビジネスを立ち上げる上でとても役に立ったと感じています。

―― 役に立った要素は具体的にどのようなものですか?

大木 当たり前ですが、米国で暮らしているとテレビやDVDで見る映像には日本語の字幕はつきません。暮らして1年がたったころには、英語はかなり上達しましたが、それでも英語の字幕だけで画面内の状況を把握する難しさは想像以上でした。手話についてあまりご存知でない方から「字幕で事足りるのでは」と質問されることが多いのですが、そのたびに、日本語と日本手話は文法が異なる「別の言語」だということをお伝えするようにしています。つまり彼らが日本語字幕から情報を得るということは、英語を母語としない外国人が英語の字幕だけで内容を理解するのと同じくらいのストレスがかかることなのです。母語が通じない環境で暮らせたことは、私にとって他者とのコミュニケーションや手話を核としたビジネスを考える上で、とてもよい経験になりました。

―― 留学から戻られてからはどのような活動を?

大木 あれほど頑張っていた写真ですが、写真甲子園の本戦に出場する機会もないまま卒業を迎えたこともあって、戦場カメラマンになる夢は諦め、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)に進学しました。そこで再び手話に出合い、仲間と手話サークルを立ち上げ、活動することになったのです。サークルを立ち上げて半年くらい立ったころだったと思いますが、知人を介してSFCの先輩である歌手の一青窈さんを紹介していただき、彼女が出演する紅白歌合戦に手話コーラスとして参加することになりました。この経験が契機となって、耳の聞こえない方を対象とした娯楽サービスの提供を始めることになります。


―― 娯楽サービスとはどのようなものですか?

大木 紅白への参加をきっかけにメディアなどを通じて注目していただくようになったことで、改めて耳が不自由な人たちのための娯楽がとても少ないことに気づきました。それで大学2年生になった直後に、大学からの助成金を元手に、手話による旅番組をポッドキャストから配信し始めたのです。この活動によってさらに多くの聞こえない人たちと出会い、彼らの暮らしがいかに不便に満ちているかを実感するようになりました。




―― 救急車を呼べずに困ったという話を聞いたことがあります。

大木 非常事態のときはもちろんですが、買い物にしても交通機関を利用するにしても、彼らは手話が理解できない人たちとの関わりのなかで、かなりの苦労を強いられています。でも、耳が不自由な人たちにとってその程度の不都合は日常そのものですから、諦めの境地に入っている人も少なくありません。でも部外者であるわたしには、彼らを取り巻く環境を良くすることは、新鮮で取り組みがいがある課題に思えてなりませんでした。それで本腰を入れて取り組むため、手話のボランティア活動を法人化する決意をしたのです。大学3年生のときでした。


〜後編につづく〜

株式会社シュアール 代表取締役  NPO法人シュアール 理事長  手話通訳士

大木 洵人氏

1987年群馬県生まれ。2011年、慶應義塾大学環境情報学部卒業。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。 慶大在学中の2009年、学生ボランティア団体から発展する形で株式会社シュアールを創業。ビデオチャットを活用した遠隔手話通訳サービスや世界初の手話キーボードによるオンライン手話辞典など、ITを活用した事業を多数手掛ける。2012年、東アジア初のAshoka Fellowに選出されたほか、2013年には日本人で唯一、Forbes 30 Under 30に選ばれたこともある。世界経済フォーラムGSCメンバーや群馬県人会連合会理事なども務めている。