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イノベーションを興す次世代リーダーたちの視点

第5回<前編>FNAグループ CEO 井上直樹氏

第5回<前編>FNAグループ CEO 井上直樹氏
<はじめに>

景気の減速や政情不安、人件費の高騰、円安など、ここ数年、アジア諸国に進出する国内メーカーにとって、看過できない状況が続いている。とはいえ、いまや優れたローカル製造業者の技術力は、日米欧の主要メーカーの製品開発になくてはならないものとなっており、成長著しい消費市場としてのアジアの魅力は衰える気配を見せない。今回は、中国とタイ両国で製造業に特化したビジネスマッチングビジネスを手がけるFNAの井上直樹氏に、海外でビジネスを興し、成功させるための秘訣を聞いた。

中国大陸で起業に挑んだ商社時代

―― 起業される前は、商社にお勤めだったそうですね。

井上 1992年に新卒で日商岩井(当時)に入社した後、事業合併でメタルワンという鉄鋼専門商社に移り、中国での仕事に携わるようになりました。2008年にMBOによって事業譲渡を受けるまで、16年ほど商社とその子会社に在籍していたことになります。

――そもそもどうして商社に入社したのですか?

井上 大学時代に学生向けフリーペーパーを自分で発行していたほど、若い頃から自分でビジネスを動かすことに強い関心がありました。いずれ起業するか、企業内起業するにしても、商社なら情報もお金も集まるだろうし、社会の仕組みやビジネスのノウハウも学ぶのに適していると考えて日商岩井(現双日)を選びました。

――入社していかがでしたか?

井上 私が入社した頃の花形は、情報産業と消費者向けのサービス産業でしたから、配属先が鉄鋼と聞いたときは、なんで自分はオールドエコノミーなのだと思いました。でも、商社のサービスラインは幅広いですし、鉄とほかの分野を掛け合わせれば、新しいビジネスが創出できるかもしれない。そう頭を切り替えて日々の仕事に取り組んでいました。他部門との交流や社内のビジネスコンテストに積極的に応募していたのもこの頃のことです。

――その後、メタルワンに転籍されました。

井上 2003年に私が所属していた部署と三菱商事の鉄鋼部門が合併することになり、その合併した会社に移籍しました。それがメタルワンです。私は情報工学科出身だったので、新会社設立に先立つ2002年から統合準備チームに加わり、1年ほどシステム統合に従事した後、中国に旅立つことになります。

――中国行きは、どんな経緯で実現したのですか?

井上 事業統合が完了した2002年12月のことでした。忘年会の2次会で行ったラーメン屋さんで、直属の上司から「統合も無事に終わったし、次にやりたいことがあったら言ってみろ」と言われたので「自分は新規ビジネスを手がけたくて商社に入った」という話をしたところ「それなら、面白い話がある」と。上司は長らく、中国の現地企業と日本の製造業をマッチングする情報サイトを運営する企画を温めており、それをやってみないかという打診でした。

――その話を聞いていかがでしたか?

井上 もちろん、不安はありましたが、面白そうだという思いが勝っていました。中国には大きなビジネスチャンスがありそうだし、なにしろ念願の新規事業にも携われるわけです。すぐに奥さんを説得して、翌年3月には家族を連れて中国の上海に渡ることになりました。

――語学は堪能だったのですか?

井上 それが全く駄目でした。中国には生まれて一度も行ったことがありませんでしたし、中国語の勉強も出国の直前に発音練習を1週間だけした程度。中国語を本格的に勉強したのは現地に着いてからです。週3日、早朝の2時間を使って勉強してから仕事に向かい、週末は別途、中国人の家庭教師に来てもらって、半日かけてじっくり教わる日々を2年ほど続けました。

――以前から海外での仕事に関心はありましたか?

井上 いいえ。私にとって大事だったのは「どこで働くか」より「どんな仕事をするか」だったので、海外で働きたいという思いはまったくありませんでした。私にとって中国で働くことになったのはあくまでも結果。新規ビジネスに関われるなら日本であろうが、どこの国であろうが構わなかったというのが本音です。

――どのように中国でビジネスを立ち上げていったのでしょうか?

井上 最初の1年は中国語が不自由でしたから、まずはわれわれのビジネスマッチングサイトの会員になってくれそうな日系企業を中心に営業活動をスタートしました。とはいえ、グーグルマップはおろか、インターネットさえまだ普及していない時代です。上海で手に入れた電話帳と、街角の露店で買った地図を手に、チャーターしたタクシーのなかで電話を掛けては、見込み客を訪問する日々を5カ月ほど続けました。月に80社ほど回りましたが、なかなか仕事につながる話はいただけませんでした。

――どうしてですか?

井上 当時はまだ、インターネットを使ったビジネスはうさんくさいものだと思われていたのでしょう。でも、仕方ないと諦めるわけにはいきません。そこで、学生時代にフリーペーパーを発行していた経験を生かし、会員誌を配ることを思い立ちました。きっと形あるものならお客さんからも信用してもらえるはずだと考えたのです。

――会報誌の効果はいかがでしたか?

井上 2004年から「御社の記事を掲載した会員誌を1万部配ります」と言って営業してみたところ、サイトしかなかった頃より、格段に話を聞いていただける機会が増えました。手応えを感じましたね。でも、まだまだ万全な体制が整ったとは言えません。そこで次の一手として取り組んだのが、日中両国の製造業者を集めて、直接商談してもらう商談会の開催です。2005年に上海で開いた第1回商談会の来場者は、数十人程度に過ぎませんでしたが、いまでは出展企業約600社、およそ1万人の来場者が集まるイベントになっています。ネット、会員誌、イベントでビジネスマッチングを行うという、現在の枠組みができたのもこの時のことです。

――苦労も多かったのではないですか?

井上 そもそも勝手のわからない中国でゼロから始めたビジネスでしたし、合弁企業としての合意事項やコンセプトを守りながらの戦いですから、正直に言って苦労は絶えませんでした。設立前に描いていた夢のような事業プランから、当時の中国の現状にあったビジネスプランに改めるまでに約2年。そこから徐々に黒字化に向けて赤字幅も減らしていたのですが、残念ながら「設立5年で黒字化を達成する」という目標を果たすことができず、2008年に親会社の撤退が決まってしまいました。

後編につづく

FNAグループ

CEO 井上直樹氏

1969年、滋賀県生まれ。1992年、大阪市立大学工学部情報工学科卒業し、日商岩井(現双日)に入社。鉄鋼本部に配属される。2003年、所属部署の事業合併に伴い、鉄鋼専門商社メタルワンへ移籍。同年、同社と三菱商事の出資による新会社NCネットワークチャイナ設立のため、中国に渡る。同国で製造業に特化したビジネスマッチングサイトの開設や会員誌の発行、商談会の開催など、事業基盤の確立に尽力。2008年、三菱商事とメタルワンの撤退決定によりMBOを行い、独立を果たす。2013年、タイへ進出。今後はASEAN諸国においてもビジネス拡大を狙う。