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第4回<後編>株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長 CEO 倉貫義人氏

第4回<後編>株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長 CEO 倉貫義人氏

前編では、プログラミングとの関わりやアジャイル開発との出合いなどについて聞いた。後編では、会社設立の経緯や将来の目標などについて話を掘り下げていく。

情緒的な判断より論理性を重んじるからこそ、フェアな社風が生まれた

――アジャイルの啓蒙活動に取り組んだ感想はいかがでしたか?

倉貫 大手SIerに在籍しながら、業務時間外にアジャイルの啓蒙活動に取り組むような人はほとんどいなかったので、すごく珍しがられたのだと思います。いろいろな方から講演に呼ばれたり、執筆を依頼されたりするようになりました。そのうち社内でも面白い人間がいるということになったようで、2003年に新設された基盤技術センターの立ち上げメンバーに選ばれてからは、会社公認で社外活動を行えるようになりました。

――専務との約束だった「有名になる」はかなったわけですね。2つ目の条件だった「仲間を作る」というのはどうなりましたか?

倉貫 それまでは、受託開発の中でいかにアジャイルを実践するかを考え、試行錯誤していたのですが、なかなか成果が出せませんでした。そこで基盤技術センターに異動したのを機に、自社で使う社内向けSNSを一から作ってはどうかというアイデアが浮かびました。社内向けであれば比較的自由に作れますからね。実はそのときに一緒に開発したメンバーが今の副社長です。ちょうど私が30歳になるタイミングでした。

―――当時のエピソードを聞かせてください。

倉貫  いちプログラマーとしてSNSの開発に取り組もうと思ったのは、一度立ち止まって自分の将来を見直すべきだと感じたからでもあったのです。仮に今、転職するにしても、大手SIerに務める30歳のマネジャーにオファーされる仕事は、きっと今と同じような仕事のはず。でもそれではちょっと面白くない。そこで新しい言語を一から覚えて開発に没頭することにしたのです。ちょうどそのころ、私の下にいた十人ほどのメンバーたちが、一人を残して別の案件に引き取られることになり、時間に余裕もできたので、当時ビジネスベースでは使われていなかったRubyを勉強しながら、メンバーと二人でSNSの開発に挑戦することに決めました。

――開発されたSNSの評判はいかがでしたか?

倉貫 2カ月ほどで仕上げて、身近な社員に託して使ってもらったところ、口コミで瞬く間に広がっていき、500ユーザーを超えたころには、当時の社長も使うようになっていました。評判も良かったものですから、プログラムをオープン化して、周辺ビジネスで収益化を図ることができれば、プロジェクトも継続しやすくなるだろうと思い、事業計画書を書いて新規事業として提案してみることにしたのです。

――それが今の会社の前身になったわけですね。

倉貫 そうです。会社は私たちの提案を受けて検討した結果、社内ベンチャー制度を新たに設けてくれて、その第一号に私たちのプロジェクトを採用してくれました。当初の計画では3年以内の黒字化を条件に、子会社として事業を展開することを計画していました。

――でも実際は、MBO(マネジメントバイアウト/経営陣による事業の買い取り)によって独立されました。

倉貫 当初目標の1年前倒しで黒字化を果たしたのですが、ちょうどその時期にグループ内での合併話が持ち上がり、会社と話し合いの上、自分で資金を集めて事業を買い取るのが最善だという結論に至りました。数年待てば子会社化の可能性もあるにはあったのですが、2011年の震災を経験して、先のことは誰にもわからないということが身に染みていましたし、今、自分がリスクを取ることが、将来のリスクを最小化できると考え決断したのです。

――事業を買い取るというのは、かなり勇気がいる决断だったのでは?

倉貫 そうですね。でも今考えてみても、自分が経営者になる以外に合理的な選択肢はありませんでした。私としては、理想的なメンバーと開発プロセスが生まれつつあった組織をどうしてもなくしたくなかったですから。

――実際に会社経営に携わるようになって、どんな印象をお持ちになりましたか?

倉貫 プログラミングにすごく近いものだということです。うちは管理スタッフ部門を別会社化しているので、私を含め全社員がプログラマー。会社の風土として、情緒的な判断より理屈を優先させる傾向があります。どんなささいなことであっても筋が通っていなければ、社長がいくら押したところで誰も動きませんし、反対に筋が通っていれば個人的な感情を差し置いてもみんな頑張ります。それは会社として、どう稼ぐか、どう使うかという点で、思いつきによる判断が入り込めないということを意味します。論理を組み立てるのは正直、大変です。でも、そこには合理性と公平感があります。そうした考え方を共有できることが、プログラマーだけの会社の良いところだと思いますね。

――「納品のない受託開発」の評価はいかがですか?

倉貫 私たちは従来のSIerと異なり、仕様書や工程管理表も作りませんし、プログラマーの派遣も行いません。システム開発を一括受注し、納品したらおしまいではなく、月額定額で開発から運用までを同じプログラマーが担い、力を尽くします。つまりお客様のビジネスを支える技術顧問として機能するわけです。当初はお客様にご説明しても、よくわからないといった反応が多々あったものですが、今では私たちのやり方に共感した上でご相談にこられる方がほとんどです。システムを外注することや、事業会社でエンジニアを採用することがいかに難しいかをよくご存知だからこそ、長く付き合えそうな私たちの元を訪ねてくださるのだと思います。

――今後の目標は?

倉貫 プログラマーの仕事は本来非常にクリエイティブなものです。他のクリエーター同様、ピラミッド型の組織で管理してしまうと生産性が落ちてしまいます。ですからソニックガーデンの組織はフラットで、指示や命令を下すことを生業にしているマネジャーは存在しません。そのため、社員はセルフマネジメントができる人でなければなりませんし、私たちと価値観を共有できる方がいい。たった一人の社員を採用するのに半年もの時間を費やしているのは、自分たちのカルチャーを守りたいから。今は社員数20人で成立していますが、40人、50人体制になったときにも同じように機能させるにはどうしたらいいのか。それが今後の挑戦です。

――最後に読者にメッセージを

倉貫 やりたいことが思い通りにできないと、誰しも周囲の環境にしてしまいがちですが、一時の感情に流されるべきではありません。まずは、自分自身がどうしたいのかという理想をはっきりさせた上で、今自分がいる環境を最大限に生かす方法を考えてみてください。自分の理想があやふやなままだと問題に直面したとき、前に進むことも、横道にそれることもできなくなってしまいます。私にとっての理想は、学生時代に味わった開発の喜びをもう一度再現することでした。今いる場所で精いっぱい理想を追求してみて、どうしても難しければ場所を移ればいいのです。人生の岐路に立ったときこそ、冷静に状況を見極め、合理的な判断を下すよう努力してほしいですね。

<取材後記>

「私自身は野心をもって社長になった訳ではありません。顧客と社員、経営者自身も等しくハッピーになれる仕組みを作ることが私の仕事」と話す倉貫氏。社員の約半数は、海外や地方を含む在宅勤務者であったり「納品のない受託開発」ビジネスモデルを外部公開したりするなど、ユニークなアイデアを次々と会社経営に取り入れている。倉貫氏自身、月に一度社内で開かれているハッカソン(プログラミングの技量を競うイベント)の輪に加わり、プログラマーと一緒になって開発をしているというだけあって、その経営スタイルはクリエイティブだ。「私の場合、心はプログラマーで仕事は経営者。社員はその逆。役割が違うだけで立場は対等なのです」(倉貫氏)

株式会社ソニックガーデン

代表取締役社長 CEO 倉貫義人 氏

1974年京都府生まれ。1999年立命館大学大学院を卒業し、東洋情報システム(現TIS)に入社。同社の基盤技術センターの立ち上げや、社内SNS「SKIP」開発などに従事する一方、アジャイル開発の普及を目指し、講演や執筆活動などにも精力的に取り組む。2009年、SKIP事業を専門で行う社内ベンチャー「SonicGarden」を立ち上げ後、2011年にMBOを実施し、株式会社ソニックガーデンを創業。技術顧問契約と月額定額をベースとした「納品のない受託開発」を開始する。著書には『「納品」をなくせばうまくいく』(日本実業出版社)がある。