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イノベーションを興す次世代リーダーたちの視点

第4回<前編>株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長 CEO 倉貫義人氏

第4回<前編>株式会社ソニックガーデン 代表取締役社長 CEO 倉貫義人氏
<はじめに>

システムインテグレーションの常識だった「一括請負型の受託開発」に対し「納品のない受託開発」という新たなビジネスモデルを提示したソニックガーデン。同社の代表を務める倉貫義人氏は、どのようにして業界の常識を覆す発想を手にすることができたのか。その原点は、楽しみながら創造性を発揮していた学生時代のプログラミング経験にあったという。

前職の専務に言われてふに落ちた、成功するための2つの退職条件

――学生時代からプログラミングに親しまれていたそうですね。

倉貫 私はファミコン世代なのですが、買ってもらったゲームで遊ぶだけでは飽きたらなくなり、自分で作るようになったのが小学校4年生のころのことでした。それ以来、自分の頭で考えたことが形になり、しかもそれを喜んでくれる人がいるということがとてもうれしかった。当時の自分にとって、プログラミングはとても面白い遊びの1つだったんです。

――いま、遊びの延長だったとおっしゃいましたが、仕事として関わるようになったことで、プログラミングに対する意識が変わりましたか?

倉貫 大学に入ると、アルバイトとしてベンチャー企業でパッケージソフトの開発を受注し始めたんですが、プログラミングから得られる喜びは変わりませんでした。こんなに楽しいことでお金をもらっていいのかと思っていましたから。このアルバイトと並行して、研究室の仲間とゲームを作り、ネットで公開したところ、大勢の方がダウンロードしてくださるようになると「ユーザーの期待に応えたい」という気持ちが強くなっていきました。ユーザーと追いかけっこしながら、プログラマーとして腕を磨いていく感覚がとても楽しかったのを覚えています。

――その後、大学院を卒業し、東洋情報サービス(現TIS)に入社されました。起業は考えられなかったのですか?

倉貫 アルバイト先のベンチャーで仕事を続けてもよかったし、仲間とゲーム開発会社を興してもよかったのかもしれませんが、当時はベンチャーに入るのも起業するのも、今でなくてもできると思い、独立系の大手SIer(システムインテグレーター)に進むことに決めました。なかでも、オブジェクト指向に取り組んでいる東洋情報サービスさんに魅力を感じて応募したところ、縁があって入社することになりました。

――入社して驚いたことはありましたか?

倉貫 当時、同期入社の新卒は私を含めて200人ほどいましたが、プログラミングが大好きで入社した人間が自分以外にいなかったと知ったときはさすがに驚きました。当時はIT業界に勢いがありましたから、花形業界に入りたいという気持ちで入社した人が多かったからなのかも知れません。「もしかして間違ったところに入ってしまったのかも」と不安にもなりましたが、どこかで「現場は現場で違うのだろう」と思っていました。

――実際はいかがでしたか?

倉貫 私自身、希望通りオブジェクト指向を取り組んでいた部隊に配属され、いわゆるアーキテクトのような仕事をさせてもらえていたので、すぐに不満を感じることはありませんでした。でも、業界や会社全体を見渡すと、SIerは建設ゼネコンのようにマネジメントに徹し、開発は国内外のパートナーに外注するスタイルが常識になり始めていましたから、1~2年は重宝されることはあっても、長いスパンで考えると「出世の道はない」とは思っていました。

――でも、お辞めになりませんでした。なぜでしょうか?

倉貫 会社からは目をかけてもらってはいましたが、学生時代に小さな組織で楽しく開発していた分、人海戦術と型通りの手順で開発していくウオーターフォール的な開発プロセスには矛盾を強く感じていました。自分の考えが間違っているとは思えなかったし、プログラマーとして評価される見込みもなかったので、辞めるつもりで面接を担当してくれた専務に、自分の正直な気持ちを伝えに行きました。

――どんなお話をされたのですか?

倉貫 今話したような内容を専務に話すと、一言で「今辞めたらつまらんぞ」とおっしゃり、「いずれ辞めるにしても、せめてここにいる間に2つのことを頑張りなさいと」と忠告してくださいました。その忠告とは「有名になる」ことと「仲間を作る」という2つの条件でした。

――その言葉の真意は?

倉貫 簡単に言うと「今ここで無名な君が辞めても、うちの下請け以上の仕事は取れないだろうし、一人で辞めれば、その先もずっと一人で仕事をすることになるかもしれない。辞めるのは有名になって仲間を作ってからでも遅くない」というお話でした。それを聞いて、今いるこの場所にいる貴重さを生かすべきだと思いましたし、自分の考えが正しいのか、それとも古くからの業界の慣習のほうが正しいのか、もっと勉強しなければとも思い、退職を踏みとどまることにしました。

――その後は具体的にはどのような取り組みを?

倉貫 実際にウオーターフォール開発の現場で働いている人たちにヒアリングを行ってみました。すると多くの方から、プロジェクトが進むにつれて営業やお客さんとの関係が悪化していったという話や、後工程になればなるほどプログラマーの苦労が増すといった話を聞き、やはりプロセスがまずいと確信するようになりました。そんなときです。「アジャイル」という開発手法の存在を知ったのは。

――ソフトェアを迅速かつ柔軟に開発する手法ですね。

倉貫 そうです。なかでも2000年ごろ、アジャイル開発の啓蒙に力を入れていた平鍋健児さんの勉強会で教えてもらった『エクストリーミングプログラミング』(オーム社)を読んだとき、自分の考えを裏付けてもらえた気がして、とても興奮したのを覚えています。エクストリームプログラミングはアジャイルの一種なのですが、期せずして自分がかつて学生時代に経験し、理想的な開発スタイルだと思っていた手法とよく似ていました。それ以降、この本に書かれていた内容を多くの方に知っていただきたくて、社外のイベントに登壇したり、執筆活動に積極的に取り組んだりするようになったのです。

後編につづく

株式会社ソニックガーデン

代表取締役社長 CEO 倉貫義人 氏

1974年京都府生まれ。1999年立命館大学大学院を卒業し、東洋情報システム(現TIS)に入社。同社の基盤技術センターの立ち上げや、社内SNS「SKIP」開発などに従事する一方、アジャイル開発の普及を目指し、講演や執筆活動などにも精力的に取り組む。2009年、SKIP事業を専門で行う社内ベンチャー「SonicGarden」を立ち上げ後、2011年にMBOを実施し、株式会社ソニックガーデンを創業。技術顧問契約と月額定額をベースとした「納品のない受託開発」を開始する。著書には『「納品」をなくせばうまくいく』(日本実業出版社)がある。