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イノベーションを興す次世代リーダーたちの視点

第2回<前編>ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役CEO 迫俊亮氏

第2回<前編>ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役CEO 迫俊亮氏
<はじめに>

ミスターミニットは、百貨店や駅構内などで、傷んだ皮靴の修理や合鍵をつくりたいといった要望に手早く応えてくれる便利な存在だ。今回、話を聞くのは、日本を含むアジア太平洋地域で、550店舗近くのミスターミニットを運営するミニット・アジア・パシフィックを率いる迫俊亮氏。前編では社長就任から約1年という非常に短い期間で老舗ブランドの再建を引き受けるに至った経緯を中心に紹介する。

学校嫌いの少年が、UCLAに進み経営者を目指すまで

――28歳の若さで老舗企業のトップに就くまでの期間、どのような道を歩まれたのか、簡単に振り返っていただけますか?

 私は、先生の言葉に反発を覚えることが多くて、小中学校を通じて先生も学校も大嫌いでした。ただ海外に行けば、きっと新たな道が拓けるのではないかという予感もあり、アメリカの大学への留学を目指し、高校1年生のときから英会話学校に通い出したんです。そこで初めて、進んで学べば自分を大きく成長されられることを知りました。高校に入る以前は、ほとんど勉強したことがなかったので、伸びしろが大きかったんだと思います。

――アメリカではどのような生活を?

 2003年に渡米し、2カ月ほどロサンゼルスの語学学校に通った後、2年制のコミュティーカレッジに進学することになりました。その後、語学学校で出会った若い語学教師の勧めで、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の3年次への編入することになるのですが、もし彼と出会わなければ、私の人生はいまとは違っていたかもしれません。

――なぜですか?

 彼は当時、プリンストン大学を出たばかりの学生で、大学院へ進学するまでの期間、たまたま私が入った語学学校で教鞭をとっていました。ある日、彼から語学学校を出た後の進路を聞かれた時、「自分はそれえほど頭が良くないので、どこか入れそうな大学に滑り込もうと思う」と答えたところ、「君には才能があるのだから、バークレーかUCLAを目指すべきだ」とたしなめられ、考えを改めたからです。

――大学生活はいかがでした?

 大学4年になってしばらく経ったころ、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズの活躍を見て、学者よりもビジネスに身を置く人たちのほうが、直接的に世の中に貢献できるのではないかと考えるようになったからです。在学中に日本で友人と超小型人工衛星で途上国の課題解決を図れないかと、起業に挑戦したこともありました。しかし、残念ながら軌道に乗せることができず、三菱商事に入社する道を選びました。

――しかし入社半年でお辞めになり、アパレルベンチャーのマザーハウスに移られた。
  一体なぜでしょう?

 UCLAは2007年の秋に卒業したので、内定をもらっていた三菱商事に入社するまで半年ほど自由な時間があります。そこでこの期間を利用して、バングラデシュでつくった高品質なバックを世界で売るビジネスを興したばかりのマザーハウスにインターンとしてお世話になることにしました。年が明け、予定通り三菱商事に入社してはみたのですが、志を同じくする仲間と、ゼロから新しい価値を生み出していたマザーハウスの日々を忘れることはできませんでした。それで半年で辞め、もう一度、マザーハウスのメンバーに加わることにしたんです。

――まったく躊躇することなく、退職に踏みきれたのですか?

 もちろん不安がなかったというのは嘘になります。でも現状にとどまるよりも、自らの志によって社会問題を解決していこうとしている社長の山口絵理子さん、副社長の山崎大祐さんたちと一緒に働けることの魅力が勝ったというのが正直なところです。マザーハウスなら、自分がなりたい方向で成長できるだろうし、それがかなうかどうかは自分次第。きっとなんとかなるという根拠のない自信もありましたね。

後編につづく