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異文化?いい文化!

第7回 流暢でも以心伝心では通じない

第7回 流暢でも以心伝心では通じない

 均質な構成員がつくる社会では、行動も一様であることが求められます。そこには、「こうすれば、ああするだろう」という推論が多く存在し、言葉による明確な表現なしに、もくろみが実現することがよくあります。ビジネスでも、表情を曇らせるだけで値引きしてもらえたり、上司の飲みの誘いは実際上の業務命令だったりなど、昔は暗黙のしきたりがありました。会社によっては今もあるかもしれません。
 このような「以心伝心」の習慣は、よく日本社会の特徴とされます。しかし、今や人口の2%が外国人の日本。異なる文化的背景を持つ人が多くなってくると、互いに察して通じあうことは難しくなります。

はっきり言わなければわからない

 タイから元留学生が遊びに来ました。大学院で日本語研究を指導し、5年前に帰国して今は母国で日本語を教えている彼は、いつもお土産を持ってきてくれるなどの配慮があり、日本的な考え方をよく理解している人です。日本語教育では、言語だけでなく、日本人の言語行動も教えます。日本語教師の彼も、日本語で話すときは日本人らしく振る舞おうとしていました。

 しかし、事件は起こりました。せっかく大学まで来てくれたので、指導に携わったもう一人の年配の教員と、一緒に外に食べに行くことになりました。その席の冒頭で発した年配の教員の「何でも好きなものを食べてね」という一言が、私にとって悲劇をもたらすのです……。

 何を食べようか迷っていた元留学生は、その言葉を聞いてすかさず、一番高いメニューの飛驒牛コースを注文しました。思わず目を見合わせたのは、給料前の年配の教員と私です。当初の想定を飛び越えてしまったこともあり、結果的に2人とも日替わり定食を注文する展開になってしまいました。
会計は元指導教員の私が持つことになりました。「こういうときは、年長の先生から決め、年下の者はそれより安いものを注文するもの」とも言えず、思わぬ自腹接待となったわけです。

 こうなったポイントはどこにあるのでしょうか。日本語を理解しているという前提に基づき「日本風の真意の捉え方」を教えなかったことです。上司がごちそうしてくれると意思表示した場合、一般的なマナーとして、上司が頼んだメニューより値段やグレードが低いものを選ぶのが日本では普通です。

 日本語の「何でも好きなものを食べてね」の一文だけを聞けば、その通り好きなものを食べても構わないでしょう。ただ、ビジネスや会合など、おもてなしを受けるような席で「何でも好きなものを食べてね」と目上の人に言われて、言葉どおりに何でも好きなものを食べたら、場の雰囲気が凍り付く可能性が大です。

コンテクストに大きく依存する

 明確に言葉にして伝えなければ相手に伝わらない。これは異文化に関わる人にとっては常識です。私たちも異国に行けば同じ立場になりえます。しかし、その国の言語を上手く話す外国人に対しては、知らず知らずのうちにその国の行動様式の実践をも求めるもの。前述の話もその一例です。

 日本では、言葉にして、「先生よりも安いものを注文しなさい」と伝えれば角が立つ。だから、言わなくても察して失礼のないように配慮することが求められます。日本語では、このような文化的文脈(コンテクスト)に依存する割合が非常に高く、欧米人のみならずアジア諸国の人と異なる配慮を必要とします。大切なのは、この配慮を異文化の人が修得するのは非常に難しいということです。

異文化の人が日本語を流暢に話せても、日本風の配慮ができるとは限らない。言語と行動は必ずしも一致しないと心得ましょう。

 正解は一つではないかもしれません。心からもてなしたいと思えば、本当に言語で表明したとおり「好きなもの」を食べてもらうのもいいでしょう。日本人の振る舞いに合わせてほしいと思えば「こういう場合は年長の人が決めてから、それより高いものを注文しないもの」と言ってもよいでしょう。
 いずれにしても、もやもやしたまま、次をどうしようと悩むのはお互いにとってよくないこと。外国人に暗黙の了解を求めるのではなく、はっきりと言葉で通じ合いましょう。

山田敏弘(やまだ・としひろ)

岐阜大学教育学部シニア教授(専門:日本語学・方言学)

1965年岐阜県生まれ。名古屋大学卒。名古屋大学大学院博士課程前期課程修了。大阪大学大学院博士課程前期課程を経て博士取得(文学)。国際交流基金派遣日本語教育専門家としてローマ日本文化会館で勤務経験を持つ。著書は「国語を教える文法の底力」「国語教師が知っておきたい日本語文法」「日本語文法練習帳」(くろしお出版)、「日本語のしくみ」(白水社)、「日本語のベネファクティブ」(明治書院)、「その一言が余計です。」(ちくま新書)、「あの歌詞は、なぜ心に残るのか」(祥伝社新書)など。昨年4月から今年3月まで、ラジオ深夜便(NHKラジオ第一放送、毎月第3木曜深夜)のコーナー「暮らしの中のことば」に出演した。