2016.10.07

日本人女性初の受賞はいつの日か

増加傾向にある女性の研究者

 今月3日からノーベル賞の発表が始まり、ノーベル生理学・医学賞に東京工業大学の大隅良典栄誉教授が選ばれました。日本人の自然科学系のノーベル賞受賞は3年連続。大変喜ばしいことですが、創設者のアルフレッド・ノーベルの命日に当たる12月10日の授賞式に登壇した日本人の女性は、100年以上を誇るノーベル賞の歴史の中で、まだ現れていません。世界の全受賞者で見ても女性は少ないのが実状です。
 推薦状を参考に研究の業績や論文を鑑みて決定すると言われているノーベル賞。女性の受賞者となりえる可能性を探ってみると、2015年の総務省の発表によれば日本の科学技術を支える女性の研究者は徐々に増え続け、15年3月時点で13万6200人と過去最多。 今年1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画には、女性の研究者の新規採用割合の増加が盛り込まれ、国際競争力で強みを持つ素材やナノテクノロジー分野などで活躍するすそ野が広がれば、「超スマート社会」実現の後押しにもなります。京都市で先日行われた科学技術関連の国際会議でも、安倍晋三首相は女性による「新しいアイデア、イノベーションの創出」に大きな期待を示しています。
 世界的に権威のある賞は様々な分野で設けられているものの、女性の研究者の増加は将来の日本人女性初となるノーベル賞受賞の可能性を高めるだけに、期待が膨らみます。

時代を力強く生きた姿を引き継ぐ

 同じく3日にスタートしたNHKの朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」。今作では子供服メーカー「ファミリア」の創業者、坂野惇子さんをモデルに、戦後に仲間と子供服づくりに励んだ物語が描かれます。連続テレビ小説では激動の時代を力強く生きた女性の生涯が取り上げられることが多く、最近の作品となる「あさが来た」「とと姉ちゃん」などは高視聴率を維持。改めてドラマの世界観が人気を博しています。新しいアイデア、イノベーションにあふれた実業家の広岡浅子さんや、雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎮子さん、そして坂野さん。彼女たちがそうであったように、目標に向かってひたむきに努力する姿は平成を生きる女性にも重なります。
 坂野さんをはじめ、経営トップとしても指揮を執った、直近3作のモデルの女性たち。組織が大きくなればなるほど、ましてや国や大企業のトップともなれば、その言動は常に注目されます。安倍政権は2020年までに、指導的地位に占める女性の割合を30%にする目標を掲げますが、指導的地位の女性やその頂点である経営トップとなる女性をイメージすると、どんな顔が思い浮かびますか。女性初の都知事や政党の代表、派手な出で立ちでメディアにもよく登場するホテルチェーンの社長、上司にしたいランキングトップの常連である宝塚歌劇団出身の女優といった著名人。母親や姉などの家族、身近な上司、先輩、ドラマやマンガの主人公。あるいは自分自身という声もあるかもしれません。
 日本で近い将来、女性初のノーベル賞受賞者、そして女性初の首相が生まれると思いますが、人生における目標は人それぞれ。誰もが社会人として、経営トップや指導的地位を目指しているわけではないとはいえ、理想像は少なからずあるはず。目標をどこに見定め、理想にどう近づいていくか。皆さんのこれからの働き方は明確になっていますか。

2016年10月15日(土)開催1月14日(土)開催【日経キャリアノミクスとは】

『日経キャリアノミクス』は新しい働きかたについて考えるきっかけと、企業との新たな出会いを創出するイベントです。

【主なイベントコンテンツ】

2016.10.07

日本人女性初の受賞はいつの日か

今月3日からノーベル賞の発表が始まり、ノーベル生理学・医学賞に東京工業大学の大隅良典栄誉教授が選ばれました。日本人の自然科学系のノーベル賞受賞は3年連続。大変喜ばしいことですが、創設者のアルフレッド・ノーベルの命日に当たる12月10日の授賞式に登壇した日本人の女性は、100年以上を誇るノーベル賞の歴史の中で、まだ現れていません。世界の全受賞者で見ても女性は少ないのが実状です。

2016.09.29

決断はビジネスパーソンとしてか、人間としてか

今年5月、日本で8年ぶりに三重県志摩市で開催された主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)。テレビの報道で目にした人も多いと思いますが、来日する各国の代表団やプレス関係者に対し記念品として贈られたのが、話題にもなった「サミットバッグ」です。

2016.09.21

こころよく 我にはたらく仕事あれ

2016年は歌人、石川啄木の生誕130周年。生まれた頃から大半を過ごした盛岡を離れ、小説家を目指しては挫折を繰り返し、北海道など各地を転々。東京・小石川で人生の終焉を迎えるまで、啄木の生き様は順風とは程遠い、生活苦や病苦などと常に隣り合わせのようなものでした。「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」。