2016.09.21

こころよく 我にはたらく仕事あれ

働くことに苦悩した歌人は何を思う

 2016年は歌人、石川啄木の生誕130周年。生まれた頃から大半を過ごした盛岡を離れ、小説家を目指しては挫折を繰り返し、北海道など各地を転々。東京・小石川で人生の終焉を迎えるまで、啄木の生き様は順風とは程遠い、生活苦や病苦などと常に隣り合わせのようなものでした。「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」。生前に上梓した唯一の歌集「一握の砂」には、職を何度も変え、働くことに苦悩した啄木の切なる心情を込めた短歌も詠まれています。
 そんな啄木にとって、生まれ故郷にレールでつながる上野駅は、郷愁に駆られるかけがえのない存在。「ふるさとの 訛りなつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく」の停車場を指す上野駅の15番線ホームの傍らには、歌碑がひっそりと建ちます。
 啄木が4カ月という短い時間ながら過ごした函館は今年3月、北海道新幹線が開通し新函館北斗駅が新設。東京~新函館北斗間が最速4時間2分で結ばれる時代に。北の玄関口として長らく存在感を示してきた上野駅は、高速鉄道時代に突入するとすっかり様相が変貌。東北各地をはじめ北海道とも行き来した上野駅発の急行や寝台特急なども次々と役目を終え、姿を消しました。
 日本社会の何もかもが激動し始める明治時代に生を受け、夭折した啄木。平成時代も30年になろうとするいま、政府主導で働き方の改革が進められていますが、働くことの意義、やりがいとは何か。啄木が転職フォーラム「日経キャリアノミクス」のように様々な働き方を考える機会を目の当たりにしたら、どう感じ、どんな歌を詠み、どのような働き方を選択したのでしょうか……。

司令塔が置かれた場所で見つめ直す

 日経キャリアノミクスの会場となる東京国際フォーラムが建つ敷地は、今から遡ること120年ほど前、1894年(明治27年)に東京府の新庁舎が建てられた場所。現在の都庁が建つ新宿区に移転するまで約100年の間、東京の行政をつかさどっていました。1878年(明治11年)、当時の東京府にできた行政区は麹町区や神田区など15区で、新庁舎が建てられた住所は麹町区有楽町(現在の住所は千代田区丸の内)でした。
 明治から大正、昭和、平成へと時代が目まぐるしく変遷するなか、日本経済の中枢を担う司令塔が置かれた場所で、さらに変化に激しさを増すであろう将来に備えるためにも、自らの働き方を見つめ直し、今後のより良き姿を思い描く。そのあとはもう、実行に移すだけです。年に一度の日経キャリアノミクスへの参加は5年先、10年先の自分の将来像に近づくための契機になるだけでなく、啄木が渇望したように「こころよく 我にはたらく仕事あれ」と感じられる働き方を具現化できるかもしれません。
 最後に、石川啄木と一握の砂が結びつかなかった方は学生・生徒だった頃、文学史の問題を苦手にしていた記憶がよみがえっているのではないでしょうか。今後の採用で筆記試験などが実施されるかもしれないだけに、日経TESTでビジネスの基礎力がどの程度あるのか測ったり、一般教養の問題集を参考におさらいをしたりするなどの準備をお勧めしておきます。

2016年10月15日(土)開催1月14日(土)開催【日経キャリアノミクスとは】

『日経キャリアノミクス』は新しい働きかたについて考えるきっかけと、企業との新たな出会いを創出するイベントです。

【主なイベントコンテンツ】

2016.10.07

日本人女性初の受賞はいつの日か

今月3日からノーベル賞の発表が始まり、ノーベル生理学・医学賞に東京工業大学の大隅良典栄誉教授が選ばれました。日本人の自然科学系のノーベル賞受賞は3年連続。大変喜ばしいことですが、創設者のアルフレッド・ノーベルの命日に当たる12月10日の授賞式に登壇した日本人の女性は、100年以上を誇るノーベル賞の歴史の中で、まだ現れていません。世界の全受賞者で見ても女性は少ないのが実状です。

2016.09.29

決断はビジネスパーソンとしてか、人間としてか

今年5月、日本で8年ぶりに三重県志摩市で開催された主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)。テレビの報道で目にした人も多いと思いますが、来日する各国の代表団やプレス関係者に対し記念品として贈られたのが、話題にもなった「サミットバッグ」です。

2016.09.21

こころよく 我にはたらく仕事あれ

2016年は歌人、石川啄木の生誕130周年。生まれた頃から大半を過ごした盛岡を離れ、小説家を目指しては挫折を繰り返し、北海道など各地を転々。東京・小石川で人生の終焉を迎えるまで、啄木の生き様は順風とは程遠い、生活苦や病苦などと常に隣り合わせのようなものでした。「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」。